2019年3月号
水曜日, 2 月 20th, 2019○月○日
市立呉が昨年の秋季県大会決勝戦を二河球場で戦ったことを思い出す。戦う相手は広陵である。何とかいい試合になれば、と期待して駆けつけた。そして、試合前の両校の守備練習を見ていて驚いたのである。限られた時間の中で、グランドいっぱいを使って守備の連携プレーを繰り返す。スタンドの上からこの光景を見ると、そのチームの地力というか、練習の豊富さが見てとれるのだ。補球して送球、ボールがキャッチャーに戻る。その連携の流れるようなパフォーマンスは、観客を魅了するものがある。ノックの音、球を取る音、ミットの音が、リズムを作ってグランドからスタンドに響き渡る。〝このチームはやるな〟と感じさせるのだ。
市立呉の守備練習は、まさにこれだった。無駄のない動きで淡々と守備をこなす姿は、広陵に全く遜色ないものだ。2年前の甲子園初出場のチームとは、何というか貫禄がついている。野球部に歴史の力が乗っかったのだろう。
女子高だった豊栄高校が男女共学校として名前も変わり、市立呉高校がスタートする。そして、野球部は2007年に中村信彦監督の元に誕生する。
一人の優れた監督が現れると、こうも強くなれるんだ、ということを創部以来、本誌の卒業高校生特集で追ってきた。県大会でベスト8、ベスト4、決勝と、どんどん結果を出していく。そしてついに2年前、甲子園出場を果たす。呉では54年振りの快挙だった。それも、創部間もない公立高が県代表になったから地元で盛り上がることー。
前述した秋季県大会の決勝広陵との戦いは2対1で惜敗した。そして中国大会では1・2回戦を勝ち上がり、準決勝で米子東と延長タイブレークでこれまた惜敗したが、優勝した広陵と共に甲子園出場を決めた。
〝2007年創部の市立呉野球部2度目の甲子園までの道のり〟と題して今月号に掲載した。10名余の野球部員が並んで映っている。こういう編集をすることがタウン誌の役割だと、逆に教えてもらった気がする。
元々呉は野球が盛んな地で、〝野球市〟と呼ばれていたこともある。明治時代には海軍工廠で野球が広まり、日本でも早い時期に実業団の定期戦が始まっている。
一躍〝呉野球〟の名を上げたのは呉港高だ。夏の甲子園に6年連続出場し、初優勝を果たす。藤村富美男を中心としたチームは圧倒的に強く、後にプロ野球に進んだ選手が5人もいたというから驚きである。
今まで呉からプロ野球に進んだ選手は数多くいるが、中でもプロ野球殿堂入りした選手が4人もいることを知っているだろうか。南海ホークスで選手兼監督として大活躍した鶴岡一人。ミスター阪神タイガースと呼ばれた藤村富美男。48歳まで投手だった浜崎真二は阪急や国鉄など多年にわたり監督をつとめた。そして、広岡達朗は三津田高、早稲田大から巨人に入団し、長嶋と共に三遊間を守った。その後は監督として大活躍、現在も健在だ。
この4人が育ったのは、皆揃って二河川のほとりだ。こんなに狭い地域からプロ野球殿堂入りのレジェンドが4人も出ていることは、日本中どこにもないことで、呉の歴史が生んだワンダーランドなのである。
そんな歴史が呉に刻まれているから、余計呉の高校野球の今の現状に、市民は嬉し涙を流している(笑)。市立呉が県の強豪校として認められる存在になったから、呉地域の高校も市立呉の戦いを身近に見ることで、力を上げている。まさにこれが、〝市立呉効果〟なのである。
一人の野球部監督が、公立校の野球部を創設し、10年で甲子園出場を果たすという奇跡を成しとげた。そして、今回2度目の快挙なのである。一年一年、選手を率いて戦い、結果を残し続ける中村監督に、改めて注目している。