Archive for 11 月, 2006

2006年11月号

水曜日, 11 月 1st, 2006

今日も呉地域の「鍋」は盛りだくさんだ。
全国区になったニュースその一、
「イノシシに咬まれ、死亡」
音戸町渡子の段々畑の上の地区で、罠にかかったイノシシに襲われ、70代の男性が死亡したのだ。音戸町の倉橋島では、以前からイノシシが繁殖して農作物 を作れなくなった畑が年々増加していた。行政は、死んだイノシシのシッポを持参すると四千円を支払っていたが、抜本的な対策は効果をあげないまま、成りゆ きまかせになっていた。
片足が仕掛けられた罠にかかったままのイノシシは、手負いの凶獣に変身して人を襲ったのだ。
その二、「海上自衛隊員が呉市朝日町路上で、酒酔い運転現行犯で逮捕」
福岡市で起きた公務員の酒酔い運転事故が呼び起こしたかのように、公務員の酒酔い運転が全国で明るみに出た。呉の海自隊員はバイクで逮捕される前に、酒酔い運転で免許停止処分を受けていた矢先だった。
NHKテレビの7時のニュースキャスターである末田正雄さんは昭和26年生れの呉出身者だ。番組の中で「広島県呉市の~」と連日故郷の悪いニュースを語る末田さんの複雑な想いを想像した。
その三、「鉄のクジラ陸揚げ」
このニュースは呉市にとって久々の良いニュースだった。来年4月に開館予定の海上自衛隊呉史料館に展示される潜水艦「あきしお」が呉湾の宝町埠頭から「陸揚げショー」を行ったのだ。
まず驚いたのは深田サルベージのクレーンの巨大さだった。そして潜水艦を空中に揚げた時の胴体の太さは、まさにクジラ!?埠頭から大和ミュージアム向いの場所までの移動も、信号機を撤去するという大掛かりなもので、夜中にもかかわらず多くの人達が見物に集まった。
桝敦子さんの川柳、「わが呉市いろんな話題全国版」が続いている。
週刊新潮9月発売号の中で、週刊文春の元編集長花田紀凱氏の記事が、一頁に渡り掲載された。花田さんといえば、カリスマ編集長として業界では有名で、今 もテレビのコメンテーターとして顔を知られている。花田さんは長年連れ添った妻に先立たれた身で、60代のオジサンにしてみれば、先が見えていたにもかか わらず、何と20歳以上若い美人と再婚していたというのだ。その女性は、なんと民主党三谷光男代議士の公設秘書、神田一恵さん。呉出身の女性である。東京 で、花田さんのカルチャーセンターの講座を受講した神田さんと出会いがあったと書かれていた。
全国版ニュースはこれ位にして、呉の「鍋」事情のこと│。
夏の終盤からこのかた、街の静けさが身に沁みている。呉地域の断水騒ぎ、そして呉市職員の不正採用問題の広がりなどで、特に夜の街への出びかえが続き、 街に閑古鳥が鳴き続けている。店としては数字が上がらない時期なのだが、「それにしても人が出ない、まいった」と嘆く人多し。
昼の呉の街と夜の街とは、切っても切れない太い繋がりがあることを皆さん忘れているようで、商店街は早い店仕舞いで、夜の店へのバトンタッチは見事になくなってしまった。
呉市とそっくりの都市に佐世保市がある。何度かの造船不況をくぐり抜け、いまだに昼も夜もなんとか循環した街で成り立っている。
同じ海上自衛隊の基地を持つ町同士なのだが、現役の自衛隊員の共通の認識は、呉で金を遣わずに、佐世保で使え、というもの。これはどういうことかという と、特に海上艦に勤務している隊員にとって、受け入れてくれる町の人の気持ちというか、港気質で接する人の質、量とも呉とは比べものにならない位、佐世保 の人たちには情があるというのだ。とにかく心が通じる、と言う。
こういった佐世保の話は、本誌に何回となく書いてきた。これらの自衛隊員のコトバを真摯に受けられない体質が呉の人たちにあるのだろうか。
呉市の歴史は、海軍さんがきたことに始まり、全国からチャンスを求めて新しい呉という街に、様々な想いを抱いてやって来た。そして、日本屈指のハイカラな街として名を轟かせて敗戦。戦後も呉湾岸の旧海軍遣産に頼りながら広島県の中枢の町として独自の道を模索してきた。
そんな呉の街の土地の記憶がもう殆ど薄れかかっている。街に人が溢れ返っていた記憶を知る人もいなくなり、当時のいい時代の気位だけを受け継いだ商人は、今の時代の流れを分っていながら乗れない。そんなことの繰り返しが、現在の商店街の状況である。
呉と焼山をつなぐ道がちょっと不通になっても、夜の街は多大な影響を受ける時である。街はみんな繋がっているのだ。あの人とは関係ない、と思っていても、実は繋がっているのと同じだ。
街に出掛けよう。
オバサン達は、出るなと言っても、それなりに街に出掛けている。問題は男性なのである。オジサンを自主的に街へ呼び戻さないと、いつまでも変わらなく、じり貧の流れが続くだけである。
まあ、こんなことを書き続けている私も、街に出てハシゴをする回数も減ってきてはいるが、気持ちは昔から変わらない。
呉の街、まだまだ色んな人が待ち受けているし、知らない風景に出会うこともあるのです。地方都市だからこその生き残り策は、商人も住民も街を循環さすこと。佐世保の街のように、「お返し」を心懸けて、人やお金を回すこと│。
今年も、年の暮れがせまってきました。時のけじめとして、せめて仲の良い人達とコトバをかわす為に街に出よう、という話を伝えたかったのでありまーす。