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2007年6月号

金曜日, 6 月 1st, 2007

呉出身の小説家田中小実昌さんが亡くなって6年以上経つ。私が小実昌さんを意識したのは「野良犬の会」という作家の集まりに小実昌さんを見つけた時から である。梶山季之さんが中心の会で、70年代初めの頃、錚々たるメンバーが集う中で、一人だけどこか雰囲気の違う作家が小実昌さんだった。その頃から小説 現代やオール読物に頻繁に登場し始め、その小説に私はすっかりファンになったのだ。そして、小実昌さんが呉育ちの人だと知り、余計身近に感じたのである。 その後小実昌さんは54才で直木賞、谷崎潤一郎賞を続けて受賞する。受賞作は「浪曲師朝日丸の話」と「ポロポロ」である。共に物語の舞台は呉である。
私が小実昌さんにお会いしたのは’87年で、呉青年会議所主催の講演会だった。本誌に以前「砂の上のかき船」という文章を書いて頂いたことがあり、それ で呉へ里帰り講演をお願いしたのである。その時の一泊二日、御一緒した。飲み助の大先輩小実昌さんは、同行のマリさんにたしなめられながらジンロックを飲 られていた。愛宕町のアサ山の実家にも一緒に登った。妹夫婦は不在だったので、玄関の隙間から、お札が入ったような封筒を中にこじ入れるようにしていた小 実昌さんの姿が印象に残っている。呉湾を見渡せる実家の先の空地に小屋を建てて、そこを書斎にして、ここで書きたいなあ、と呟いておられた。
今、小実昌さんの小説を読み返してみると、なんと呉がたくさん出てくることか!?少々驚くほどなのである。
直木賞、谷崎賞受賞の「浪曲師朝日丸の話」、「ポロポロ」、そして「カント節」「アメン父」の単行本はもちろん呉が舞台だが、70冊以上の小実昌さんの著作の中の多くに、自分の育った呉のことが、ここかしこに出てくるのだ。
今月の本誌の特集「呉裏観光案内」と連載の「進駐軍がやってきた」にも小実昌さんの呉を書いた文章を載せている。
小実昌さんの死後「田中小実昌の世界」など特集本が何冊か出た程、東京では知名度が高いが、故郷呉では、小説家としてはあまり知られていないようである。テレビなどで露出した、ちょいとスケベなハゲのオジサンのキャラクターの方を覚えている人が多いからかも知れない。
「小実さんは軽薄そうに見せてるが、当代一の無頼派作家です」と私に話してくれたのが、作家の村松友?さんだ。村松さんは小実昌さんの編集者だった頃から、その本質を見抜いていたのである。他に類を見ない小実昌文学をちゃんと残さないといけない、とも言われていた。
呉のことを、これほどまでに書き綴った作家田中小実昌さんの本を故郷に住む私たちは、もっともっと読まなければならないと思ったのだ。そして、「小実昌文学館」のようなものが出来たらなあ、とつくづく思ったのである。

今月号の特集を組みながら思ったのだが、呉市が本気で観光に取り組もうとするのなら、もっともっと多様な「観光時間」を持てる地域だということをアピー ルしなければならないことだ。大和ミュージアムが、開館以来の観客数が300万人を越えるという化け方をした為に、急に呉市は観光都市としても生きれる ぞ、と拙速に考える人がいる。また、てつのくじら館が出来て、後2、3年は「ヤマトブーム」の名残りで賑やかさが続くことも予想出来る。それらのことを踏 まえた上で、この2、3年の内に「観光の手当て」をしておかなければならない。その手当ての第一は、呉市民の観光地意識を高めることだ。他所から呉を訪れ る人への目なざしを変えることである。「何で呉のような大しておもしろうない処にくるんじゃろ!?」では駄目なのである。自分の住む町のことをもっと知ら なければ、「観光地という意味」まで行きつかない。自分が他所に観光に行く時のことを考えればいいのである。どこが魅力でそこに行きたいのか、を考えるの だ。そうすると、呉の観光の良さと弱点が見えてくる。その一つ一つの意見が、観光地の条件、おもてなしの心に繋がると思うのである。この観光地意識が定着 すれば、町に住む人達のコミュニケーションやボランティアの意識にも繋がると思うのだ。
そんな掘り起こしの為の特集が、「呉裏観光案内」になったというわけであります。まだまだ観光ネタはあるのですが、紙数が足りなかった。

次回は季節的にも海辺の呉観光案内を取り上げる。島嶼部と合併して、「単一自治体の海岸道路距離日本一」の呉を意識させたいのだ。
町に出かける特集が続きます。