Archive for 12 月, 2007

2007年12月号

土曜日, 12 月 1st, 2007

○月○日
今から30年前のことである。俳優の小沢昭一主宰の芸能座という劇団があった。当時の新宿紀伊国屋ホールの舞台は、新劇界では花形の場だった。そのホー ルの最多入場者記録を塗り替えたのが芸能座で、とにかく人気があった。芸能座は10本新作を上演したら、劇団は解散すると宣言していた。その芸能座の新し さに魅かれて、私は募集していた研究生に応募して、4次試験まであった難関をくぐり抜け、晴れて研究生になった。
その当時の研究生仲間が30年振りに同窓会を開くというのである。懐かしいやら恥ずかしいやら、色々なことが頭をかけめぐったが、何とか東京の会場にか けつけたのである。ちょうどその当日、新聞で小沢さんが菊池寛賞を受賞したという記事を見ていたので、余計小沢さんを30年振りで囲むという会に重みが増 した気がしたのだ。
私は東京を離れているので、殆どの研究生とは30年振りでの再会だ。芝居や芸能界に居続けているのは3割ぐらいである。不思議な時間が会場に流れているのを感じたのである。
小沢さんはこの30年も、ずうっと第一線で活躍を続けてこられた。その年を重ねた小沢さんの姿を目の前にして、私たち研究生各々が想いをめぐらしたに違いないのだ。私ももちろんそうである。
別れる時、小沢さんが書いた“青春ふたたび”という色紙を頂いた。
さて問題は、私が“青春ふたたび”を感じることができるのだろうか、である!?

○月○日
“夕凪の街・桜の国”の原作者こうの史代さんに会うために、西武新宿線の沼袋駅に行く。駅前の喫茶店で待ち合わせた。
こうのさんは、私が想像していたというか、話をしていく内に、脚光を浴びるべくして浴びた作家だと、つくづく思ったのである。
私が何故こうのさんに会わなくては、と思ったのは新作の“この世界の片隅で”を見たからである。この物語は戦時中の呉がこと細やかに描かれている。ま た、昔ながらの呉弁がこれほど生きている作品を見たことがなかった。だから、こうのさんは呉出身の人ではないのか!?と思ったのである。漫画アクションの “この世界の片隅で”の連載が進むにつれて、早くこうのさんに会うべし、との思いが募っていたのだ。
こうのさんは、実は2年間呉に住んでいたのである。こうのさんの母方のお婆さんが呉に住んでいたからだ。広島が舞台の“夕凪の街・桜の国”、そして呉が 舞台の“この世界の片隅で”は繋がっていたのである。戦時中の一庶民である主婦の生活をこれほど丹念に、そして淡々と描いた物語を私は知らない。
来年の一月には、連載をまとめた単行本が出版される。呉の人には、必見の書であります。

○月○日
駒沢公園の体育館で開かれているフラダンスの大会に行く。会場で有名なクムフラ(フラの師匠)アロハ・デリレイさんに会うためである。日本でフラを習う 人は、いまや全国津々浦々に広がり、フラ人口はとっくに100万人を越えたといわれている。フラブームである。そのフラブームを築いた中で、重要な役割を 果たした人がアロハ・デリレイといわれている。
そんな時、フラの絵本を企画していた私のところにアロハさんに会ってみないか、という話が来たのである。
アロハさんは、フラ最大の大会メリーモナークフェスティバルの“初代ミスアロハフラ”に輝いた人である。そして、毎年行なわれている大会で、クムフラとして娘三人をも“ミスアロハフラ”にしたことでも有名なのである。
フラのチャント(言葉や詩)はハワイ語である。ハワイ語を知ることは、フラやハワイアンミュージックなどのハワイ文化の奥深さに繋がっていく。そんな想いがアロハさんのコトバから伝わってきたのである。

○月○日
青森は、昨夜の雨が上がり、うって変わり晴天である。青森港の東日本フェリーターミナルに急いだ。10時発、青函フェリーに乗るためだ。この旅は新しい 青函連絡船である“ナッチャンレラ”に乗るのが一番の目的なのである。青森、函館間を1時間45分で結ぶ新フェリーに乗り込んだ。フェリーは想像していた 以上の大きさである。大型バスが船内で楽にUターンをしている。その様子を見ながら乗客は、この船のスケールの大きさに少し興奮しながらエスカレーターで 上階に運ばれる。既にエコノミークラスの眺望の良い席は団体客でいっぱいだ。進行方向に大きく開いた窓から見える陸奥湾の景色はさぞ見ものだろう。
私は、窓際の人だかりを見て、写真が撮れそうもないので上階のクラスに変更してもらった。上階のスペースからは、また違った風景が広がっていた。右側に 見え続ける下北半島は紅葉が始まったばかりだ。昔の青函連絡船から見えた下北半島の風景を想い出すが、全く変わっていないようだ。変わったといえば、やは り新フェリーである。船の揺れが本当に小さく、スピードが出ている筈なのにそれを殆ど感じさせない。
もう一つ驚いたのは、船内カウンターに行けば飲み物はサービスなのだ。メニューに生ビールがあり、恐る恐る頼むとそれもサービス。いやはや、陸奥湾の風 景をつまみにビールを飲む旅は快適そのもの、サイコーである。昔、縁があった青森の友人達とのことが頭を駆けめぐる。苦い思い出もあるのだが、それもこれ も旅の味である。つい私の口から出た唄は“ああああ~津軽海峡~冬景色~”でありました。