Archive for 3 月, 2009

2009年4月号

土曜日, 3 月 21st, 2009

◯月◯日
新広島市民球場に行く。新球場は完成間近だが、球場周りはまだまだ整備中だ。
広島市役所の担当の方に新球場を案内してもらう。ヘルメットを被り、靴を脱いでスリッパで2階の正面ゲートから新球場へ入る。緑のキレイな芝生、そして緩やかな傾斜のスタンドが目に飛びこんできた。その瞬間に〝これはいい球場だ〟と感覚で分かったのである。
新幹線で新球場の横を通るたびに、工事の進行具合を興味深く見続けてきた私など、完成間近の芝生の緑が見えた時には、いっぺんに想像力がふくらんだものである。
球場の色んなサイドの席に坐ってみたのだが、想像以上にグランドが見やすく、球場の上の空も大きく広がって見える。旧球場の狭い席と比べると雲泥の差の坐り心地だ。また、もう一つの球場設計の要、コンコースを作ったことが成功したようである。球場を一周できるコンコースには、27店ものバラエティ豊かな売店が設けられてある。新球場は商売上手に変貌した!?
新球場のプロ野球公式戦は、4月10日の中日戦から始まる。新球場が完成し、ハードが万全になり、カープにとってソフトの戦いを繰り広げていくわけである。ソフトも万全、といくようにしなければならないのだが、今年もピッチャー陣が不安である。毎年同じことを私は言い続けているのだが、どうしたもんだろう。
これはもう、新球場に集まるファン力でピッチャーに力を与えていくしかないようだ。今年は、〝新球場へ連れてって〟でカープの観客動員を上げるしかない!?

◯月◯日
島根県益田市に行く。益田赤十字病院で納賀良一さんと会う。納賀さんは島根県のガンケアサロンの活動で、第一回「新しい医療のかたち」賞を受賞した方である。
私が納賀さんを知ったのは、「中央公論」の3月号である。特集の「ガンで死ぬ県、治る県」の中での、「患者力」を高めてガンを克服しよう、という対談だった。ジャーナリストの島越俊太郎さんと納賀さんとの、ガンと共に生きるという対談である。
島越さんは、対談の時はちょうど何回目かのガン手術の直後で、テレビでその経緯を放送していたこともあり、タイムリー!?な掲載である。
対する納賀さんのことをこの対談で知り、お隣りの県だし、会いに行くべしと思い、アプローチしたのである。
お会いした納賀さんは、70才を越え、ガンと共に生きているというカンジはなく、気が漲っているという方だった。
納賀さんは、医療機関や行政に要望するにしても、まず患者がレベルアップしないといけない。それ抜きに「命の格差」は縮まらないし、むしろ増々拡大する、と言われる。
納賀さんは、昨年末に国立病院呉医療センターであった「第四回ガン患者全国大集会」に参加したそうである。そんな呉との関係があったことで、今回の私の取材に応じてもらえたのである。
次号で納賀さんの「患者力」のことなど紹介するつもりである。

◯月◯日
大和ミュージアムから、こうの史代さんの「この世界の片隅に」の完成記念展を開催するので、話をしたいと連絡が入る。
本誌で紹介を続けているコミック「この世界の片隅に」が完結して、やっと上・中・下巻が揃って発売になる。
6月に、作品の原画展やこうのさんのサイン会などを行なうという大和ミュージアムにまずビックリしたのである。あのおカタイ大和ミュージアムが!?といいながら、目をつけてくれた企画者の眼力に感服である。
呉で「大和」が造られた時代、当たりまえのように庶民は毎日の暮らしを続けていた。呉というこの世界の片隅で生きた女性を通して、見えてくること、人間のこと、国家のことを見事に描き切った作品である。発行元には、すでに映像化のオファーが何社か来ているそうである。
作品は4月末に発売される。

◯月◯日
連日の〝政治家不信〟報道が続いている。〝自民党〟、〝民主党〟と振り子のように行ったり来たり。振り子が振れそうになると、マスコミもより強く振れさせるように煽ること煽ること。まさにマスコミヒステリーである。
そして、鬼の首を獲ったような〝支持率アンケート〟結果発表。〝国民に無作為に抽出した3000人にアンケートをお願いしました〟というやつだ。
このマスコミの〝支持率〟だけで、政治が右住左住している!?私は、この〝アンケート〟ほど危ういものはないと思っている。質問の仕方も、ちょっとしたニュアンスを加えると、質問側の物語にはまった結果が強く出てくるのである。〝白〟か〝黒〟かと、すぐどっち!?と言い募るマスコミを、どうかと思うのである。
〝こんな不景気になって〟とか、〝年金問題はどこにいったんだ〟とか、〝官僚を変えるためにはどうすればいい〟とか、問題山積みの日本をマスコミはどこに導きたいのだろう。
今から30年前と50年前の4月の新聞を読み返してみた。そうすると、今の日本の現状と同じようなことが見事に繰り返されきた、ということがわかる。
医療、年金、教育、そして政治家不信。歴史は繰り返すというが、全く同じ見出しがかくも多いとは――。

2009年3月号

日曜日, 3 月 1st, 2009

○月○日
〝大下会〟の新年会に出席。大下会とは、元プロ野球選手の大下剛史さんを囲む会である。今回は、広島カープの選手やコーチも10人位参加していたので、 カープの激励会のようになった。コーチ陣はちょうどこの日、新球場の下見をしてきたそうで、〝なかなかエキサイティングな球場に仕上がってますよ〟という コトバを聞いた。新幹線に乗る度に、工事中の新球場が出来上る過程を見て来ただけに、球場に芝の色が見えた時は、〝おおっ出来た!〟と呟いたほどだ。計画 によると新球場は〝ボールパーク〟と呼ぶにふさわしいアイデアいっぱいの施設になるという。その言われていたものが急にカタチになって現われてみると、こ れほど私たちに創造力をかき立てる存在はない、と思ったのである。
さて、一方の市民球場の方は、いまだに跡地利用が決定しないままである。私は以前から言っているのだが、サッカースタジアムにするのがイチバンなのであ る!町中のサッカースタジアムとして日本一の立地を生かすべきだからである。サンフレッチェもリーグ復帰を果たし、皆実高校も全国一になった。いまの広島 のサッカー熱を新スタジアム建設につなげる大チャンスなのである。
プロ野球の広島カープは永遠に続くかといえば、私はどうなるか分からない!?と予測している。今のままの2リーグ制が続くとは思えないからである。球団の 身売りはいとも簡単に行なわれてしまうからだ。広島に新球場が出来たからといって、球団経営が今までのように回っていくとは限らない、と知るべきである。 広島の町には、野球とサッカーの素晴らしいスタジアムが2つあることこそ、広島地域の魅力につながると考えたい。
〝100年に一度〟の経済危機の中で、庶民の楽しみのよりどころとしての〝ボールパーク〟は、少々費用をかけても、これだけは許せることと思うのだが、どうだろう。

○月○日
NHKテレビで〝帽子〟の再放送を観た。ドラマの前に脚本を書いた池端俊策さんのインタビューも合わせて見ていたので、亡くなった緒形拳さんの役者として、そして人としての魅力を改めて感じさせられたのである。
去年の夏の放送を観た時は、緒形さんの老け振りに驚き、そのイメージを引きずってドラマに素直に入っていけなかったのだが、再放送のドラマは、池端さんの物語への仕掛けや想いの深さが伝わってきて、〝緒形、池端コンビ〟の絆を垣間見た気がした。
〝帽子〟のドラマでの緒形さんの最後のセリフは、〝今日あるのみ〟だった。
また、緒形さんは一つのドラマや映画の仕事が終るたびに、スタッフ、キャストに向って言う最後のコトバは〝さようなら〟。そう繰り返し挨拶していたと、池 端さんは語り、そしてその〝さようなら〟を言われた池端さんは、その度に淋しかったと言う。そう言う池端さんの悲しそうな貎が印象に残った。

○月○日
広島11時30分発の新幹線に乗り、12時14分に新下関に着く。下関の町は久し振りだ。早速唐戸市場に急いだ。市場の有名な回転寿司にはお客が列をなし て並んでいる。仕方がないので隣の海辺のカモンワーフに行く。建物には10軒以上のレストランが並んでいる。平日だというのに観光客が多い。ふく、ウニと 書かれたノボリがあちこちに見える。店の入口に出ているメニューを見ると、どこも似たようなメニューである。ここは目の前の関門海峡を見ながら食べれる処 がいいと2階のお店に入る。目の前に広がる海峡を通る船を見ながら飲むビールのうまいこと!?旅先の酒はどうしてこんなにうまいのだろう、と脳天気な気分 の私である。
魚の水揚げ量が減り、観光客は土・日だけしか唐戸市場に入れなくなった。しかし、隣りにカモンワーフ、そして門司行き桟橋、下関水族館と、唐戸の港を囲む 一帯は一つの観光地になっている。唐戸の対岸が門司である。門司タワーが見える。海峡を挟む町として、どっちがおもしろい!?処なのか、が今回の旅の取材 の要である。歴史の蓄積は下関の方が断然上であるが、近代になると門司の港の繁盛は下関を圧して、都市化が進んだ。そして今、お互いが観光地として手を上 げている状況である。
下関から門司へは、船であっという間10分位で着く。門司駅から海辺のレトロ街までは、少々恥ずかしい位の観光建物が並んでいる。私はこういう観光客目当ての建物が並んでいる処は苦手である。
港町には必ず飲食街がある。そんな港町の裏通りが好きなのである。そんな裏通りのような淋しい処、と言われれば、そうなのだが、歩きながら出合う風景に想 像力がどんどん刺激されるのだから、これは仕方がない。昔賑わいだ通りには、その余韻が匂いのように残り、私にしきりに訴えてくる。だから、私もカメラを 向けなければならなくなるのである。
門司銀天街の裏通り、そして山際の道を歩いた。なんとも懐かしい風景が残っている。昭和の風景である。そして、門司駅裏に差しかかると、なんと鉄道博物館 の看板が見えた。入口から懐かしい蒸気機関車が見えるではないか。目の前の機関車の大きく、迫力のある車両にただただ驚く。ピッカピカに磨き上げられた車 両に触ってみた。そうすると、ドシンとしたアナログ文化の正しさというか、モノ作りの凄さが体に伝わってきたのである。