Archive for 7 月, 2009

2009年8月号

火曜日, 7 月 21st, 2009

◯月◯日
こうの史代さんを囲む会に出席。大和ミュージアムでの〝この世界の片隅に〟完成展覧会に、原作者のこうの史代さんが駆けつけてサイン会を行なった。サイン会には、朝から人が並び大盛況だった。〝この世界の片隅に〟は上、中、下巻、コミック誌に3年間かけて連載され続けた大作だ。この作品を描くためにこうのさんは、膨大な歴史資料に目を通したそうである。だからこの作品を書き上げたこうのさんは、すでに「呉」の大専門家である。また、呉の宣伝ポスターの絵も担当するそうだ。
〝百年に一度の危機〟と言われた昨年から日本の状況を冷静に見れば見る程、〝この世界の片隅に〟の時代こそ〝百年に一度の危機〟だったことが分かるのである。
◯月◯日
下蒲刈町の元町長の竹内弘之さんの訃報が入る。今年の芸南寄席の打ち合わせの連絡を入れようとしていた矢先だった。
竹内さんには、本誌発刊時から応援して頂いていた。当時の下蒲刈町は、橋も通ってなく、もちろん蘭島閣など何もなかった。それが20年かけて現在のような文化施設溢れる島に一変させたのである。竹内町長の実行力には凄味があった。
蘭島閣美術館にある絵は、竹内さんはすべて諳じることが出来る程絵が大好きな人だった。
御冥福をお祈りしたい。
◯月◯日
五木寛之さんの講演会が呉市文化ホールであった。主催は浄土真宗安芸南組。安芸南組は日本一の数を誇る組だそうである。
最近続けて仏教に関する新書を読んだ。「仏教・キリスト教 死に方・生き方」玄侑宗久&鈴木秀子、「生きる力としての仏教」町田宗鳳&上田紀行、「人は死ぬから生きられる」茂木健一郎&南直哉、「寺よ変われ」高橋卓志である。五木さんもたくさんの宗教関係の著作があり、現在、五木さんは中国新聞で〝親鸞〟の小説を連載中だ。安芸門徒の地でのこの講演会にはたくさんの人達、お坊さんを含めて皆熱心に耳を傾けていた。
高橋卓志さんの「寺よ変われ」ではないが、もっと〝宗教人〟のコトバが町の中をとびかってもいいのじゃないか、と講演を聞きながら思ったのである。
◯月◯日
〝くれ〟という地が高知県にある。土佐の久礼である。青柳裕介さんのコミック〝土佐の一本釣り〟の舞台の地だ。〝くれ〟のよしみで一度は訪ねてみたいと思っていたのだが、やっと実現した。
高知県高岡郡中土佐町久礼は、太平洋に面した港町である。高知市内から高速道を使って一時間ちょっとで着いた。港に面した久礼八幡宮に参って、早速お目当ての大正町市場に行く。土佐の一本釣りで揚がったカツオを買うためである。揚がったばかりのカツオは銀色に輝いていた。プリプリのカツオを三枚におろして貰う。〝たたきにしますか〟という魚屋さんに、帰ってからたたきにする、と言うと、〝それが正しい〟と言われた。本当に旨いカツオのたたきは、やはり現地に来て食べてみないと分からなかったのである。たたきは出来立て、冷やさなくて、やわらかい味のポン酢で食べるのが一番旨いようだ。冷えてないからいくらでも食べられるのである。
久礼の大正市場は、魚だけでなくトマトなどの野菜も安く、すこぶるうまかった。
◯月◯日
石原裕次郎の23回忌法要がテレビで映し出されていた。裕次郎のデビュー当時の映画場面も流されていた。昭和31・32年頃の作品だ。
今月号に掲載した〝懐かし昭和マッチの想像力〟のマッチは、昭和30・31年頃のものである。
英国軍兵士のデービットさんが呉に進駐していた当時のマッチが、現在に蘇ったのである。呉の町にこれほどの〝横文字店〟があったとは!?驚いてしまう。そして、何とも自由なマッチのデザインにこれまたニンマリしたのだ。さぞやこの頃の呉の夜の町はおもしろかったろうなあ、と想像するのである。
時は、ちょうど〝仁義なき戦い〟の舞台になった頃である。進駐軍兵士やヤクザが目立つ町は、一面混沌とした巷であるが、逆に言うと色っぽい抑揚のある、実におもしろい町だったようだ。そんな町には〝裕次郎〟のような男もいた筈で、さぞや活躍したんだろうなあ、と想像するのである。