Archive for 1 月, 2010

2010年2月号

木曜日, 1 月 28th, 2010

○月○日
南海ホークスのOBが集まる〝ホークス会〟に出席した。南海ホークスといえば、戦後プロ野球パ・リーグを引っ張った大阪の球団で、呉出身の鶴岡一人監督が率いたことでも知られている。そして、今は福岡ダイエーホークスに引き継がれている。
どうして私のような者が〝ホークス会〟に出席したのか?その理由は、ホークスのキャンプ地が長い間呉であったからである。昭和30年代、2月の呉二河球場からはいつもホークス選手たちの球音が響いていた。私も小学校時代、ホークスの選手にサインを貰いに通ったものである。
その当時、ホークスのエースといえば、杉浦忠投手。年間最多勝42勝の記録を持っている。その杉浦さんがキャンプ中、足繁く通ったのが中通のスタンド〝シロクマ〟である。キャンプの時間よりシロクマのカウンターにいた方が長いと言われる程、飲んだそうである。その縁で、シロクマ二代目のKさんはホークスを応援し続けて40年、今もホークス会には毎年必ず顔を出している。私はそのKさんに連れていって貰ったのである。集まったホークスOBはさすがに年を取られていたが、そこは元プロ野球選手、背すじが通り、話をかわすと、やはり皆さん塩が聞いている。現役時代の姿が蘇るのである。蘇るといえば、OBの皆さんに呉キャンプ時代の話を聞くと、途端に笑顔でその頃のエピソードを話してくれるのである。各々選手の〝青春時代〟の話である。昭和のいい時代の話を聞きながら、ホークスOBが集まる会を呉でやりたいと思ったのである。

○月○日
先日、〝両城の急傾斜地に建つ家を譲ります〟という人が編集室を訪ねて来られた。70坪の土地の石段の家である。家主の方は、静岡県に住まれており、年に2〜3回用事がある時だけ呉に帰郷し、その家で寝泊まりする生活を続けてきたそうだ。そうした中で、家を手放すことを親族で決め、土地を売ろうとしたが、傾斜地の急階段がネックで買い手が現れない為、タダで〝石段の家〟を手放そうと思い、本誌にそのことを掲載して欲しいということだった。
そして、後日、私は両城の石段の家を訪ねたのである。そこは両城中学校から愛宕の方へ尾根を回った沢の石段の家だった。鉄製階段を上ったその地は、思った以上に見晴らしがいい。崖っぷちにテラスを作り、そこでビールを飲んだらサイコーだな、と思ったのである。
一ヶ月後に家主の方が帰郷するとの事で、その時にどう対処するか考えておこうと思っていた。その矢先である。呉信用金庫の大年理事長にお会いした時に〝石段の家プロジェクト〟というNPOを立ち上げることになった、と聞かされたのである。
本誌でも、再三高台の家、急傾斜地に建つ家の魅力を説いてきた。しかし、細い坂道、急階段、そして車が家の途中の道までしか行かないという悪条件が、家の前に何もない、見晴らしがいいという価値を遥かに越えるという現実を、目にしてきたのである。
そんな流れの中、急傾地に建てられた住宅の空き家化を取り上げて、それを逆手に取り、眺めのいい〝石段の家〟の価値を高め、実際に石段の家を新しく建てていこうというプロジェクトが始まる、というのだ。
呉の地元の人たちの価値観と、外の人の価値観の違いがあることを、私たちは知るべきである。
〝石段の家〟プロジェクトをどんどん進めてもらいたい。石段の家の価値が上がれば、同じように呉の観光力も上がっていくのである。

○月○日
朝起きると曇天、今にも雨が降ってきそうだ。今日は成人の日、本誌恒例の新成人の撮影の日である。
今年の呉市の成人式は、県内初の分散成人式になった。いつもなら、呉市文化ホールで式典、撮影はその近くの図書館前や蔵本通りで行なっていた。しかし、最近の酔っぱらい新成人の〝ヤンチャ〟振りが問題になり、統合式典は中止、18の自治体での成人式と相成った!?
本誌も成人式が分散になったのだから、ソコソコ撮って回るか、と思っていたのだ。しかし成人式の準備をする時期になると、編集室への撮影の問い合わせが多くなり、対処するためには、独自で撮影場所を設置しなければならなくなったのである。そして決めたのが、〝大和波止場〟。撮影開始は午後2時。各自治体の成人式が終わる時間帯にした。
午後1時半に大和波止場に行く。幸い薄日のさす天気になり、撮影日和である。三々五々に集まってくる新成人達、2時過ぎには大和波止場が新成人の群れで埋まって見えた。
新成人たちは、中学校や高校の友達と再会したくて成人式に出てくるのである。成人式の式典の時の態度や、成人式に出る衣裳など、色々問題にしようと思えば、たくさんあるのである!?まっ、そのへんは、二者択一、どっちが正しいか、という問題にしないことの方が、正しい!?
来年の成人式は、やはり今までどおり呉市文化ホールでやった方がいいのでは—!?そして、卒業した中学校や高校ごとに、集える小さなブースのようなものを作ってあげる。そして、そこで撮影をしてあげれば、それだけで新成人は大満足!これで来年はやりましょうよ。

2010年1月号

木曜日, 1 月 28th, 2010

◯月◯日
倉橋島の南、尾立のの。以前私が大阪のオイスターバーで食べた生かきの拠点があることを知って、行ってきたのである。その〝日本かきセンター〟は袋の内湾に面した白い建物だった。世界中の名産地からこの施設にかきが集められていた。施設の中には浄化殺菌した海水プールがあり、仕切られた各々の中には産地別のかきが見える。集められたかきは、この浄化海水に48時間以上寝かせられ、そして出荷される。世界中のかきが目の前の海水プールにあると思うと、なにか不思議な感覚に包まれたのである。かき筏が浮かぶ袋の内湾の深い処から汲み上げて、浄化した海水をたっぷり飲み込んだかきは、すべて〝袋の内湾産〟と呼んでもいいよな、と言いながら厚岸と的矢のかきを試食させてもらったのである。さすがにウマイー。

◯月◯日
島根〝バラバラ殺人事件〟の発生から2ヶ月近く経つが、いまだに犯人の目星もついていないようだ。広島県北の臥竜山に捨てられた遺体の一部は、動物のものとみられる排泄物の中から発見された。
〝その動物はたぶんテンでしょう〟と話してくれたK氏。K氏はその臥竜山の山頂近くの森に自動シャッターカメラを2つ備えつけていたという。遺体が発見される前にセットしていたから、カメラに映っている生物に関心が集まったのは言うまでもない。K氏は警察に出頭して映っている画面を見たのだが、映っていたのは警察官のカメラをのぞき込む姿ばかり(笑)。〝森の達人〟のK氏は、自然観察の世界ではふくろうの観察を続ける有名人で、カメラを設置した森でよくテンを見かけるという。
この事件の関連で、ひとつの噂が広まっているのである。それは〝酒鬼薔薇聖斗〟のことである。事件の犯行が似ているというのだ。その酒鬼薔薇がなんと呉に住んでいる!?という〝噂〟が事件の前からあったのだ。週刊誌でも取り上げられていた!?
そういえば〝臥竜山カメラ設置〟のK氏は、〝酒鬼薔薇在住噂〟の広に住んでいる!?最近の広はなにかとよく噂にのぼるのである!?

◯月◯日
今回で3回目の連載になる〝お寺さん界隈〟が年配の方に好評だ。3回目のお寺さんは神応院さん。何を隠そう、私は神応院育ちなのである!?というのも、神応院のあそか幼稚園でお世話になったからだ。何十年前から神応院さんは地域に開かれたお寺さんだった。子どもの頃、よく狂言や影絵芝居など本堂に集まって観たことを思い出す。
取材をして驚いたことは、仏教講話会のことだ。その講師陣のすごさったらないのである。武者小路実篤、松原泰道、石川洋、無着成恭、高橋卓司、ひろちさや、永六輔、鎌田實、養老孟司という有名人を含め、昭和24年8月の第1回から、平成21年12月まで、499回を数えている。この回数もすごい。
そしてもう1つの話題。神応院裏の墓地にひと際古く立派な墓があることを知る人は少ない。韓国人禹範善の墓である。明治時代、朝鮮王妃暗殺事件で日本に亡命した禹範善が、呉で生活していた時、追って来た朝鮮人に暗殺され、呉の友人達に丁重に葬られた歴史の墓である。残された一家の長男禹長春(呉一中出身)は、戦後韓国に渡り、〝韓国農業の父〟と呼ばれ、尊敬を集めた。ちなみに禹長春の三女は、京セラ創立者の稲森氏の奥様である。

◯月◯日
こうの史代さんから、ハガキが届いた。
〝おかげさまで『この世界の片隅に』が第13回文化庁メディア芸術祭漫画部門で
優秀賞を頂きました!!そして「このマンガを読め2010年度版」(フリースタイル刊)で1位に選ばれたりと、今さら(?)のように好評です〟
『この世界の片隅に』は、まさに呉市の歴史の最高のテキストなのである。呉市の小・中・高生に是非読んで貰いたい。

◯月◯日
大和ミュージアムで「正岡子規と呉ー従軍記者の時代(明治28年)」という講演を聴きに行く。講演者は松山市立子規記念博物館の館長さんだ。NHKドラマ『坂の上の雲』が放映されているだけに、会場は満員である。
〝のどかさやの山の麦畑〟
〝呉かあらぬ春の裾山灯をともす〟
〝大船や波あたゝかに鴎浮く〟
が、子規が呉を詠んだ句である。子規は明治28年3月9日に呉に来ている。そして松山に帰省、4月10日に宇品から従軍記者として大連に向かう。
この時従軍記者になっていなければ、子規はもう少し長く生きていたに違いない、と思いながらNHKの〝坂の上の雲〟の子規、香川照之に注目している。

2009年12月号

月曜日, 1 月 25th, 2010

◯月◯日
千福さんの酒蔵ライブに顔を出す。会場は旧製品工場の2階だ。出演はカンフル罪。呉出身の町支寛二さんとサックスの古村敏比古さんだ。町支さんの実家は、千福とほど近い長の木トンネルを抜けた処にあった製麺所である。まさに地元中の地元でのライブに町支さんのテンションは上りっぱなしで、会場のステージの光と音の具合もすこぶるよく、素晴らしいステージを見せてもらった。
◯月◯日
本誌の企画〝お寺さん界隈〟で宮原の正圓寺さんを訪ねる。住職の大江一亨さんに話を伺った。正圓寺の歴史の中で一番の〝事件〟が、明治時代の呉町から現在地への移転である。呉浦に海軍鎮守府が置かれることに決まり、その中心が呉町になったことで、近世日本で初めてといわれる公的な立退き事業が行なわれたのである。ということで、正圓寺と、入船山にあった亀山八幡宮は、海軍さんのために移転を余儀なくされたのだ。
呉の歴史は海軍さんが来て始まったといわれるが、実は呉浦時代の歴史が連綿と続いていることを私たちは知るべきである。お寺さんの歴史を調べると、そのことがよーく分かるのだ。
今は寂しくなった宮原通りは、戦前呉市の人々が40万人を越した頃、ビリヤード場や、芸者券番、そして理髪店だけで16軒もあったというから、驚きである。
この冬からNHKで始まる〝坂の上の雲〟にも登場する東郷平八郎元帥の呉の住まいが、正圓寺下にあった。現在、入船山にある東郷ハウスは宮原五丁目から移転したもので、正確には〝離れ〟である。
宮原の正圓寺さん界隈は、上道路を含めて散歩すると、呉の歴史が見えてきます。
◯月◯日
恒例の芸南寄席が始まる。初日は昭和公民館でのユニオン寄席だ。今回の出演は、講談の宝井琴調さん、漫才のホームラン、そして桂才賀さんである。ユニオン寄席の開演はいつも7時である。少々遅い始まりなので、芸人さんは小腹がすく。というので会場近くの〝かんだ〟のお好み焼を差し入れることにしている。芸人さんはかんだの広島お好み焼をハフハフッといいながら食べる。もちろん大好評である。
ユニオン寄席が20回目ということだから、かんださんのお好み焼も20年近く食していることになる。
◯月◯日
広島県知事と呉市長の選挙が終った。県知事選の投票率は33・7%だったそう。呉市は市長選と一緒だったせいか、50%を超える投票率だった。選挙の報道で一番興味深かったのは、呉市での県知事選の白票投票の多さである。全体の5%以上の人が白票を投じたという。広島県という行政単位が、正直言って私たちには見えなくなってしまっている証かもしれない。県の役割があいまいになってきているのだ。呉市にはハコモノで、県立と名のつく建物が少ないせいかもしれない(笑)。
広島県政といわれても身近な思いがしてこないのである。マスコミで盛んに報じる県議会の抗争も、呉市民にはまるで実感がないのだ。そんな流れの中での県知事選は、私たちにとっては、興味もないし、まともそうな人なら、県知事は誰でもよかったのである。だから白票を投じた人達は私たちの本音そのものだったのだろう。
つくづく道州制を早く実施して欲しいと思ったのである。行政改革は、国のお上と共に、地方の自治体改革も同時進行しないといけない。そして、議会のあり方を変えないかぎり、改革のスピードは上がらない。今回の県知事選を考えれば考えるほど、すでに〝県政〟というカタチ、ソフトはなくなってしまっていると思ったのである。
◯月◯日
総合週刊誌実売5年半連続一位と自称する週刊文春。11月19日号の見出しがスゴイ。
〝リンゼイさん殺害 市橋達也逮捕!大阪で女と遊び、男と博多のラブホテルへ。逃亡「961日」の全内幕〟
〝死を招く「34歳婚カツ女」をプロファイリングする〟
〝島根女子大生をバラバラに切断した異常な動機〟
〝35歳元ホステスに貢いで死んだ「読売記者」と「県警刑事」〟
〝さようなら、森繁久彌さん〟
〝小沢さん、このままでは改革は失速する。鳩山政権の大ピンチ〟
これが平成21年11月の日本のスガタであるからして、我ら地方の一タウン誌としての、よって立つスタンスの危ゆさをお察し下さいませ。