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2010年5月号

水曜日, 4 月 28th, 2010

 昭和の時代。40年頃までだろうか、4月3日は〝節句の日〟だった。呉の会社はその日は休日、学校は春休み中なので、一家揃って花見に繰り出す庶民のハレの日だった。休山、平原水源地、二河峡、大空山など、当時の花見は里山など高台を目指したものだった。そして、いつもと違うハレの弁当には、卵焼き、かまぼこ、おむすび、揚げもの、そして子ども達にはトッピン。呉地域の4月3日は花見一色だった。

 時は平成22年、昭和は遠きになりにけり。4月3日はとっくにフツーの日になり下がっている。しかし、今年のこの日は週末、お天気は晴れ、絶好の花見日和の日。前日までの寒さはどこへやら、桜も待ってましたとばかり、いっせいに満開近くになりにけりだ。私が繰り出した花見は二河峡。二河川の渓谷に咲く山桜を遠目に見ながら桜の下に緋毛せんを敷いての花見席だ。二河峡の川音が町の騒音をシャットアウトしてくれている。

 本誌の編集室が二河川に近いせいか、毎年何回かは二河川で花見をしている。先日も二河川でウチの編集スタッフと一緒に花見をした。恒例の酒の肴の持ち寄りの花見会だ。一人一品以上の持ち寄りだから、並べるとけっこう華やかになる。今回ウケたのは〝鯛飯〟と〝タコ焼き〟。料理レシピを見ながら初めて作る鯛飯と使い慣れたタコ焼き鉄板で作るタコ焼き、両方うまかった!?今年もつつがなく二河川での花見が出来たことに感謝である。

 

 プロ野球の巨人コーチ木村拓也さんが亡くなった。マツダスタジアムでの巨人戦初戦の練習中に倒れたのだ。倒れた後の様子がテレビで繰り返し流された。取り囲む巨人の選手達、そして、遠まきに広島の選手が見える。

 そのシーンを見て、一瞬、あれっ?と思った。木村拓也さんは巨人のユニホームを着ている!?そうだ、カープの選手じゃなかったんだと

 巨人の原監督の涙の会見が続いてテレビに映し出される。木村コーチのことを熱いコトバで語る原監督。続いて、申しわけのように広島の野村監督のコメントだ。

 連日のこの報道を見ていると、何というか、カープは冷たいなあ、と感じるのである。木村拓也さんの人柄の良さ溢れるエピソードを知るたびに、どうしてカープから出したんだろう、と思ってしまうのだ。広島に家族を残して、東京へは単身赴任の生活が続いていたという。

 また、木村拓也さんが病院で亡くなった次の日、甲子園で阪神、巨人戦があった。巨人選手は皆ユニホームに喪章を付けてプレーをした。そしてカープで同僚だった阪神の金本、新井選手も喪章をつけていた。その姿を見て、余計木村拓也さんを、可哀そうだなあと思ったのである。

 フリーエージェント制で、木村選手は、自ずからカープを後にしたのか、出ざるを得なかったのか、そのへんは分からないが、カープの選手が他球団で活躍するのを見るにつけ、おもしろくない、やりきれないなあ、と思うのは私だけではないだろう。

 この選手は後々カープチームの主脳陣になる、と皆が認める選手がポツリポツリとカープを去っていく。

 今年のカープの戦力を見るにつけ、ため息が出る。カープの野球は、コツコツと打ち、抜け目なく走り、守り切って勝つ機動力野球とよく言われるが、私はそれを聞くたびに、なんとおもしろくない野球をカープは目指してるんだ、とこれまたため息が出てしまう。

 大リーグのような力と力のぶつかり合う野球を目指せとは言わない。しかし、せめてパリーグの攻撃的な戦い、迫力ある攻防戦を目指して欲しいのだ。日ハムのダルビッシュ、楽天の田中投手の試合を見てみたい。そして、日ハムの中田選手の強振振りを見てみたい。広島出身の選手が他球団で活躍するのを見ると、カープにいたらなあ、とまたため息が出るのである。

 地元の優秀な選手は〝お宝〟としてカープで獲得しなくてはならないのだ。それにしても、最近のカープは地元出身の選手が本当に少ないなあ。

 選手の補強には予算が要るのは、誰もが知ることだが、いつもいつもカープはビンボーじゃけえ、では先が見えてこない。感情的なないものねだりではなく、理性的に、じゃあ球団の売り上げを上げるしかないことを考えるべきだろう。私たちは魅力のあるカープ野球が見たければ、魅力のなさの原因をつきとめればいい。その原因がいつも〝ビンボー球団〟だから、と言うことでは未来永劫優勝の目はないのである。

 木村拓也さんの葬式が広島で執り行なわれた。マスコミも続いてそのニュースを大きく取り上げていた。私が感じた〝カープは冷たいのぉ〟というニュアンスの記事は、地元マスコミからは全く伝わってこない。合掌。