Archive for 6 月, 2010

2010年7月号

月曜日, 6 月 21st, 2010

○月○日
”ゆかたで呉散歩”という今月号の企画で、ゆかた姿が似合う町の風景はどこだ?ということで、何ヶ所かを撮影して回った。
ゆかたで町に繰り出す、といえば広島の”とうかさん”。呉でも、中通り土曜夜市全盛の頃はゆかた姿の女性が珍しくなかったのだがー。
以前企画した”日常着の着物のススメ”でも、今回と同じように着物姿がはまる町の風景を捜したものである。
そこで今回は、この場所なら絶対大丈夫だと、誰もが思う入船山公園で撮影をした。ところが、入船山記念館の前で撮影をしていたら、写真のバックに建物を入れたらアカン、と言われたそうである。”商業目的”の撮影は禁止という!?オイオイ、”呉の町に出掛けよう”という企画に、どうして行政が”商業目的”ということでケシカラン、となるんだ?これこそ「本末転倒」じゃないのかい!?くれえばんは、商業誌だから、その中の企画はすべて商業目的というのなら、新聞、テレビ、マスコミも撮影禁止ではないか?ミニコミだからダメなのか!
腹を立てていたら、行政の本誌への「本末転倒」事件のことを思い出した。
その一。豊島大橋が開通した当時、御手洗が観光客で賑わった。呉市もこの人出が続けば観光地として売りに出せるぞ、と目論んでいた頃のこと。本誌が、開通後の夏に向けての御手洗情報の確認をしたところ、町の広報がこれ以上観光客が来たら、私たち行政としたら迷惑だから、情報を流さないで欲しい。やめて下さい、だってー。開いた口が塞がらなかった。
その二。小学校の特集で各校を回っていた時、校長から小学生を撮らないで下さい、個人情報だから!と写真を断られた!?これも校長の「本末転倒」。教育委員会、PTA、モンスター何とかとの間で、面倒くさいことは、かかわりたくない、という校長には、正直ガッカリ。いい校長のいる学校は、ほんと校内の空気が明るかったことー。
その三。呉市議会を取材しようとしたことがある。他の都市では、議会の実況中継をCATVやコミュニティ放送で流すところもあるというのに、呉市では議会の取材は、記者クラブ加盟社以外、ダメだという。写真も撮らせて貰えなかった。これも時代錯誤、本末転倒である。記者クラブの弊害は地方都市の隅々にまで及んでいるのである。
もっとあるが、やめとこ(笑)。

○月○日
秋田県象潟町の葬式に駆けつける。朝7時に車で広島空港へ。広島高速道開通で、呉から高速に乗り、山陽道で空港まで50分。9時発だから、ちょいと早く着き過ぎの感あり。それにしても早くなった。そして羽田、乗り継いで秋田空港着。そこからレンタカーで南進。高速、バイパスが通っていて、象潟までこれも50分で着いた。しかし、広島から秋田はやはり遠かった。
秋田の象潟は、私の母の故郷である。母の兄が亡くなり、その葬式にやってきたのだ。私も象潟へは、東京にいた時期を含めて何度も訪れ、世話になっていた。”私のココロの田舎”が象潟なのである。そのオジが亡くなった。
夕方から通夜である。遺体は既に荼毘に付され、お骨が祭壇に置かれている。花、団子、一汁三菜の膳などが一緒に祀られていた。
葬式は明朝だった。勤めの人が朝早く、5時半に弔問に来られる。仏間で寝ていた私も、当たり前に起こされる。昨夜の酒が抜けていない。顔も洗わず、とにかく散歩、浜に出てみる。雪が残る鳥海山を見ながら、松林を抜けて海水浴場に出る。この日の象潟の海は凪いでいた。瀬戸内海を見ているようだった。
家での葬式が始まる。お坊さんが、三人来られた。曹洞宗のお経は久し振りである。そして、家から近くの光岸寺へ葬式は移る。
”象潟や雨に西施が合歓の花”。芭蕉が奥の細道で訪れた最北の地が象潟である。その句を詠んだ地が坩満寺だ。葬式の三人のお坊さんの内の一人が坩満寺さんと聞いた。
寺での式が始まる。最初のお経が終わり、弔事をオジの孫四人が各々少しずつ話す。この孫たちのコトバに打たれ、私たちの涙が止まらない。若さ故の直接的なコトバだから、余計集まった人に伝わるのである。これには参った。家を継いでいく若者に弔いのコトバを言わせ、”家”の代々はこうして続いていくのですよ、と実感させる場が葬式ということなのだろう。
葬式の最後、喪主からの弔事はどこも同じである。弔事が2回、これはいい風習だ。