Archive for 8 月, 2010

2010年9月号

金曜日, 8 月 20th, 2010

○月○日
両城の高台に・石段の家・がオープンする日である。三条商店街から・七曲り・をくねくね道をタクシーで上がって貰う。少し前までは、七曲りの入口の狭さや、七曲りでの車のすれ違いが難しく、タクシー泣かせの道だったが、今は七曲りの道が広くなり、タクシーが普通に上がるようになっている。
両城中学校テニスコート前でタクシーを降りる。しかし、そこからスゴイ急坂が待っていた。後に転がると命が危ない(ちょいとオーバー)!?という程の急坂を手すりにすがりながら石段の家に到着。両城の上道路までラクしてタクシーで乗りつけ、そのまま石段の家へ到着、では高台の家の有難味や醍醐味が違うことを、石段の家に入って思い知らされるのである。
家の庭に出ると、眼の前に呉の街がドカンと広がっていた。右側が呉湾、日新製鋼まで見え、左側は灰ヶ峰のてっぺんまで見える。そして、真正面には休山の全貌が見渡せる。休山ってこんなに長い綾線を持っていた堂々とした山だったっけ!?
呉の街がこれ程美しく見渡せる処が他にあるだろうか!?と思ったのである。両城中学校から少しだけ高台に上っただけなのに、これ程眺望が変わることを、私たち住民は知るべきである(ちょいとオーバー)。
・スゲェ風景だぞここは・・と驚いていると、オープニングセレモニーが始まった。東京から脚本家の池端俊策さんが駆けつけておられた。池端さんとは久し振りである。両城を舞台にしたテレビドラマ・帽子・の時に故郷を書いた脚本家としてマスコミに取り上げられたものを見ていただけに、私としての本心は久し振りの感じはしなかった。しかし、お会いするのは10年振りくらいである。
私は、池端さんと呉信用金庫理事長の大年さんとのオープニングのトークライブの進行役を頼まれていたのだが、何しろぶっつけ本番なので、どう話が転がるか心配というより、楽しみだった。
実をいうと池端さんと大年さんは小学校6年生の時に一緒のクラスだった、ということを発見したのは私なのである。閉校になる片山小学校の古いアルバムを見ていた時、私の知る二人が同じクラス写真におさまっているではないか!?その事を大年さんに言うと、本人もビックリされていたのを思い出した。
そんなお二人は、・高台に家を作らなければならなかった呉市の歴史こそ大事で、その個々の歴史を掘り進めれば、必ず物語が立ち現れる、想像力を掻き立てる・地・として光を浴びるだろう・と言う話をされたのである。
石段の家は・風・と名づけられた。
このような高台の家をこの後、5軒ぐらい作りたい、という大年さん。両城地区はもちろん、灰ヶ峰の麓、休山側など、5軒とはいわず、何十軒か作られたなら、NPO法人「くれ街復活ビジョン」の1つの役割が果たされるかな、と思ったのである。

○月○日
クレイトンベイホテルの夏恒例のビアパーティーに行く。この日のライブはが出演しているからである。寿のヴォーカルのナビィこと藤原さんは、熊野町出身である。寿の演奏は6年前の故郷町営ホールの凱旋コンサート以来である。沖縄ミュージックのバンドとして全国で活動を続けているが、最近は寿独自のネットを広げ、世界中に演奏の範囲を広げている。
その寿の久し振りの演奏で驚いたのは、ナビィの存在感が地に足がついているというか、自信に満ち溢れていたことだ。初めて聴いた・上を向いて歩こう・の替え歌・前を向いて歩こう・の歌が、今でも私の耳について離れない。原作の永六輔さんが聴いても、喜ぶようなアレンジになっていた!?
ホテルの4階会場には、びっしりとテーブルが並べられ、その周り3面の壁面には、到底1人で食べ切れない種類の料理がズラリ。ライブに興が乗ってきた頃には満員。クレイトンベイのサマービアパーティーは、大繁盛だった。

○月○日
朝、NHKテレビニュースをいていると、大阪の児童虐待のニュースに関連して、・タジマタカシ・さんのコミックが話題になっているという。あれ?それは、本誌でもお馴染みの田島隆さん?とテレビを見ると、そのとおり、田島さんが真面目な貌でインタビューを受けているではないか!?
「モーニング」に連載中の・特上カバチ!・に発表した・児童虐待編・が、発表当時から話題を呼び、コミックス第22巻が7月に発売され、大阪の児童虐待事件も相まってマスメディアにも取り上げられているのだ。
原作者の田島さんは、行政書士として社会の様々な問題に取り組んでいる。マンガの原作者としては、既に10年以上連載を続け、ベテランの域に入ってきている。そん中で、時代を捉える視点の確かさはまだまだ健在のようである。多忙の中、修道大学法科大学院にも通う田島さん。身体だけには注意して下さい、という私の建前のことばを笑うかな・(笑)。