Archive for 11 月, 2010

2010年12月号

金曜日, 11 月 19th, 2010

○月○日
今年で3回目の呉酒まつり。呉市内の居酒屋、スタンドバー40数軒が参加した。金曜日は、蔵元の人達が参加店を出来るだけ回り、蔵元オススメの酒を自ずから振る舞った。日頃、酒蔵の人達との接点がない地酒ファンは、この趣向がお気に入りで、めったに飲めない地酒の振る舞いに自然と笑顔になるのだ。
酒まつりを仕掛けた側としては、お客の笑顔の連鎖を見ることが何より嬉しい、これだよな、とお店の人と顔を見合わすのである。
土曜日は初めての試みで、五つの酒蔵らが一堂に会し、”地肴地酒”の会と称してホテルに集まったのである。参加者は約250人。千福の樽の担ぎこみに始まり、酒樽からの酒で乾杯。そして、舞台では呉出身の町支寛二さんのデュオ・カンフル罪、東京から駆けつけた澤井ゆうすけさん、呉の声楽家Minaさんのステージが繰り広げられ、大盛況の会に仕上った。
また、東京から14人もの参加者があり、日本酒はまだまだ吸引力も魅力も十分あることを証明する会でもあった。
次は、呉地域の地酒のアンテナショップ作りに向けて動き出そうと思っている。

○月○日
『一箱古本市の歩き方(光文社文庫)』の著者、南陀楼綾繁さんが編集室に訪ねて来られた。翌日、ブックフェアが開かれるという広島の前に、立寄った呉の町、どのように映っただろうか。
呉出身の作家、田中小実昌さんの大ファンというより、研究家の南陀楼さん。小実昌さんとの私の交流の話を興味深そうに聞いてくれた。田中小実昌さんの小説は大きな”呉遺産”であると書いた私としては、大いなる味方を得たような気になった。
南陀楼さんの薦める”一箱古本市”を呉でもやってみたい、と思ったのである。中通り、本通りには本屋が一軒しかなくなり、古本屋も絶滅した。そんな呉の中央地区で、本をクローズアップした”一箱古本市”というイベントこそ、やるべきだと思ったのである。

○月○日
毎年秋の恒例、くれえばん寄席が今回で22回目を迎えた。噺家の桂才賀さんを座長にして、噺家、漫才、講談、紙切り、津軽三味線、太神楽曲芸、マジックなどの出演で寄席を続けてきた。そんな中、くれえばん寄席の根多帳が今回の寄席で最終頁になり、次回には新しい根多帳が必要になった。
今回の寄席のトピックスといえば、日曜日に二つのお寺さんで開催出来たことだ。宮原の正圓寺さんと和庄の明法寺さんである。お寺の本堂、内陣を前にして高座を聞く。いつも思うのだが、このカタチが様になるのである。
元々落語はお寺から生まれた説教だから、あたりまえといえば、それまでだが、”高座”というコトバが今も生きているのは、お寺さんと落語の舞台だけ。つながりを深めるのも、私の役割かもしれないと、22年目にして思ったのである。

○月○日
ツイッターを始めて7ヶ月経つ。くれえばんのホームページを再スタートするために、編集長自ずからネットに慣れること、変わらねば、ということでツイッターをするはめになったのである。時は”iPhone”ブームの最中、様々なメディアでツイッターが取り上げられていた。
一日、1〜2回ツイートすることが最初のノルマだった。フォロワーが増えていくうちに、だんだんとツイッターの多様さが分かってくる。私という一人のツイッターの存在感をどの辺で発揮するか、考えながらツイートするのだが、一回きりのツイートだけでは中々広がりを作れないのである。リツイートが続き、またそれに対してツイートし、繰り返していくと、大きなウエーブになるようである。
「尖閣映像」の流出の件で、マスコミや政治家の騒ぎようはちょいと異常である。
ツイッターで、私がリツイートした上杉隆さんの発言「新聞、テレビが映像を流せば〝スクープ〟になるが、ネットから流れると”流出”になる」だから新聞、テレビはネットに抜かれたことを認めたくないのである。
日中関係、責任論、犯人捜し︱騒ぐだけ騒ぐマスコミ。また大きな事件が起きれば、またそちらに全マスコミが流れていく。
そんな中で、ツイッターというメディアのいいところを見た気がしたのである。