Archive for 1 月, 2011

2011年2月号

金曜日, 1 月 21st, 2011

○月○日
亀山神社に初詣で。今年の人出は、昨年以上のようで、境内に並ぶ人の列が参道の下の方まで続いていた。
私は亀山神社のある清水通り育ちで、神社の隣の和庄小学校に学んだ。だから、当然のごとく亀山神社は私たち子どもの遊び場でもあった。しかし、子ども心にも神社は神聖な場ということは分かっており、原っぱでの遊びの盛り上りとは一線を画して、ハメをはずし切れないもどかしさがあったことを思い出す。
正月の境内は、参拝の人出の割には静かである。出店が少ないからだろうか。正月につきものの羽子板の出店を見なくなって久しい。日本の昔からの遊びの文化が次々と姿を消していくのを感じるのだ。寂しいかぎりである。
この際、団塊の世代のオジンに頑張って貰って、子どもの昔遊びを今の子どもに伝えてもらいたいと切に思うのである。

○月○日
広のサトー工芸を訪ねる。映画の看板描き職人の佐藤定信さんに会うためだ。佐藤さんは、昭和30年代から40年頃までの数年、映画全盛期に映画看板の仕事に就いていた。佐藤さんの青春時代、16歳からの数年間はどっぷりと映画と共に生きていたという。呉では「総天然色」という字が、波の押し寄せる海岸の風景にかぶさって、画面いっぱいに「総天然色」カラーですよと強調していたのを思い出す。
当時の佐藤さんが大好きな映画スターは長谷川一夫だったそうだが、東映所属でない長谷川一夫を一度も映画看板では描くことはなかったそう。では誰を一番多く描いたかと問うと、ダントツに中村錦之助、と言われた。
サトー工芸の壁にずらりと並ぶ佐藤さんの作品を見ていると、私も当時の映画館風景が蘇ってくるのである。小学生の時に一番多く通ったのは、やはり二劇である。東映の時代劇だ。大きな映画看板が建物の二階部分の端から端までかかっていた。二劇の前の通りを隔てて一劇があった。そういえば、この通りは劇場通りと呼ばれていた。もう一軒はリッツ劇場で、今のポポロである。
中村錦之助(後の萬屋錦之介)の映画はたくさん観た。『一心太助』、『紅孔雀』。そして、『清水次郎長』や『忠臣蔵』のオールスター競演モノも思い出す。
その後の二劇は、封切り映画ではない二番館になり、私の二劇通いはなおも続いたのである。
当時の有名な映画監督の作品が次から次へと二劇にやってきていた。イングマル・ベルイマンの『ペルソナ』や『不良少女モニカ』、ロジエ・パディムの『血とバラ』。日本映画では、鈴木清順の『けんかえれじい』、山田洋次の『バカがでやってくる』など、名作が3本立ての中にまぎれ込んでいた!?二劇のラインナップは本当に魅力溢れるものだった。そして、その二劇のラストショーがドイツ映画の名作『ブリキの太鼓』だったことも象徴的である。
話が脱線したが、二劇の映画看板を描いていた佐藤さんの青春時代の思い残しが、今も映画看板を蘇らせる力になっているようで、昨年の中通りの「わたくし美術館」での展示会に続いて、今年も瀬戸田町での展示会が開かれるという。

○月○日
成人式の日、今年で2回目になる大和波止場での新成人の撮影会を開く。呉市が統一の成人式を取りやめて、各自治体ごとの開催になったため、本誌が独自で撮影会を開いたのである。もう20年以上、2月号は成人式特集が定番だったわけで、統一の成人式がなくなったからといって、特集をやめるわけにはいかなかったのだ。
それにしても罪作りなのは、一部のはねっかえり新成人である。呉市の統一の成人式が中止になったのも騒ぎを起こした一部のはねっかえりだ。毎年酒に酔っている一団はいるにはいる。しかし彼らが騒ぎを起こして警察沙汰になることが多くなったのは、やはり全国的に新成人の暴挙が報道され始めてからである。スピーカー効果というのか、「荒れる新成人」を演ってしまうというかー。羽織袴で着飾った上で、集団でお上に逆らうことをしでかすのである。「やんちゃ」で済むうちはいいのだが、暴走してしまうから手に負えなくなってしまい、成人式を取りやめる自治体も増えてくるのだ。呉市もこの流れに乗るように、統一の成人式を取りやめた。
そして今年も新成人の一部のグループが暴れてしまったのである。本誌の撮影会で写真に修まったまではいいが、その後がいけない。帰る時にトラブルを起こして警察沙汰になり、逃亡。そして、車の事故を起こした。「やんちゃ」だけでは済まない結果になった。
撮影会を主催した私としては、もうがっかりなのである。また「はねっかえり」がやってしまった、という結果が残るだけ。これからも続けていいのだろうか、自問自答している。
また、新成人が集まった場はゴミが散らかったままなのである。その場を取り巻くように彼らの親達が見守っているのが成人式の風景だ。そして撮影が終わるとゴミは片付けられないまま、新成人も親もまるで気にせずにその場を離れる。そんな光景を長年見せられていると、やっぱり編集する側としてもひっかかるものがあるのだ。
さてさて、今年の新成人の姿を編集しているのだが、「馬子にも衣装」だけでは済まないか、済んでいいのか、皆さんどう思います?