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2011年7月号

月曜日, 6 月 20th, 2011

東日本大震災が起きて、すでに3ヶ月経つ。
マスコミが伝える災害地の復興は様々で、映像では到底分かり得ない現状が広がっていることを想像するだけで、私たちは無力感を抱いたままだ。
マスコミで〝震災後〟ということばがよく使われている。第2次世界大戦の〝戦後〟と比べ合わせて、日本の第二の敗戦と呼ぶ人もいる。〝敗戦〟と呼ぶことには、〝人災〟という意味あいが込められている。〝福島原発事故〟のことだ。
〝戦後〟の日本のエネルギー政策を官僚と電力会社にまかせ、「効率」ということばをうのみにした私たち国民を含めての〝人災〟である。
〝震災後〟3ヶ月も経つのに、義援金の殆どが被災者に届いてないという報道に国民すべてが驚き、呆れている。これが今の日本の行政システムだからなのか!?
〝震災後〟の時間は震災前の平時の時間のかけ方とは違う筈、〝迅速に〟と国民は思っているのだが、行政システムはかたくなに同じように進める。
そんな中、〝震災後〟の地方都市呉市に2つのハコモノ建設の報道発表があった。呉合同庁舎と呉市庁舎の新築計画である。
新築する呉地方合同庁舎は地上7階地下1階、総事業費約28億円。
また呉市庁舎は、2014年度末までの完成で、概算約150億円の大型事業になる。
国の財政破綻が目の前に迫ってきているのに行政はこの有様なのである。〝震災後〟だから、新しいハコモノ建設は、まずは凍結ではなかったのか!?
行政は〝震災後〟の今を、有時ではなく平時と捉えているのか!?
〝震災後〟だから、財政のために高速道路無料化実験を廃止したのではないか!?広島・呉道路の無料化は、交通量が多く、実験が成功したかに見えたのだが、呉地域にとって残念でならない。せめて半額にして実験を生かせなかったのか、硬直した行政に私たちの諦め感が漂うのである。
近年、様々な〝不条理〟が日本を覆い続けている。いじめ、虐待死、孤独死、派遣問題、少子高齢化―。そして、その揚げくの果てが大震災と福島原発事故である。
多くの”知識人”が”震災後”の日本をことばで顕し、マスコミにメッセージを寄せた。
そうした論壇のことばは、”震災後”も殆ど変わりがない、と評した作家の高橋源一郎さんの朝日新聞4月28日「論壇時評」のことばが胸にしみた。是非読んで貰いたい。

この1ヵ月、わたしが目が醒める思いで読んだのは、「論壇」以外のことばだ。それは、たとえば城南信用金庫の「脱原発宣言」であり、ユーチューブ上で公開された、理事長のメッセージだった。
そこで目指されているのは、すっかり政治問題と化してしまった「原発」を、「ふつうの」人びとの手に取りもどすことだ。「安心できる地域社会」を作るために、「理想があり哲学がある企業」として、「できることから、地道にやっていく」という、彼らのことばに、難しいところは一つもないし、目新しいことが語られているわけでもない。わたしは、「国策は歪められたものだった」という理事長の一言に、このメッセージの真骨頂があると感じた。「原発」のような「政治」的問題は、遠くで、誰かが決定するもの。わたしたちは、そう思いこみ、考えまいとしてきた。だが、そんな問題こそ、わたしたち自身が責任を持って関与するしかない、という発言を一企業が、その「身の丈」を超えずに、してみせること。そこに、わたしは「新しい公共性」への道を見たいと思った。
壊滅した町並みだけではなく、人びとを繋ぐ「ことば」もまた「復興」されなければならないのである。