Archive for 7 月, 2012

2012年8月号

火曜日, 7 月 31st, 2012

◯月◯日
そごう呉店が来年一月末に閉店する、という発表があった。それを知った呉市民は、呉駅前が寂れるじゃないか、どうにかならないのか、と不安を口々にする。
閉店の理由は、駅裏に出来たゆめタウン呉店などの商業施設の進出で売り上げが減少したためである。大規模店舗が新しい大規模店舗に客を奪われたカタチである。大型店の競合がうまくいかなかったのだ。
そごう呉店は、1990年に呉駅前再開発の核店舗としてオープンした。また、呉駅前には阪急グループが呉阪急ホテルをオープンさせ、呉の町の人出が変わり出した始まりの時だろう。
風景が一変した呉駅前に対して呉中央地区商店街は、市の駅前再開発のデパート誘致に早くから反対はしていたが、それはカタチだけの反対運動に過ぎなかったのである。その結果、呉の中央地区だけではなく、市内の商店街のすべてが衰退の道を辿るのである。
当時、天応の埋立地に市が阪急グループと第三セクターを組み、呉ポートピアランドを鳴りもの入りで開業したのも同じ時期だった。今想うと、あの頃から呉地域は、住民が町の上辺だけのことしか考えないというか、自分の住む町への視点が目先のことばかりを追うようになった気がするのだ。
その後、そごう呉店の本体のそごうグループが破綻して、存続の危機を迎える。今から思えば、この時の〝処理〟も間違っていたように思うのである。
そのことで思い出すのだが、当時外務大臣だった池田行彦さんと私は、呉の居酒屋で偶然隣りに居合せてお話をしたことがある。その時の話題がそごう破綻のことだった。
池田さんは、デパートが閉店になると呉地域の従業員の雇用問題が当然のように起きるから、何とか残すようにしたいと言われた。
私は破綻しても広島そごうは必ず残すでしょうが、呉店は必ず〝お荷物〟という扱いになりそうだから、この際閉店して新しい進出先を見つけた方がいいと申し上げた。当時は、そごう呉店を存続させる意見が殆どだったから、池田さんは私の意見が意外だったようで、その後の酒量も話も盛り上ったことを覚えている。
そごうグループが西武グループに吸収され、時が経ち現在はセブン&アイ・ホールディングスがそごう呉店の経営母体である。こうして見ていくと、デパート業界も旧態依然の時代ではないことが分かるのだ。
デパート業界の不振云々とよく言われているが、変わらず繁盛している処は確実にあるわけだから、不振店の原因も企業努力が足りない確実な要素があるのである。
そこで、現実になるそごう呉店閉店の後、跡地をどうするのかという問題である。
そごう呉店などの駅前再開発、そしてゆめタウン、レクレなどの呉駅南拠点整備は共に呉市の企画事業である。中にコンサルティングが入っているとしても、事業主導はあくまで呉市である。
今回のそごう呉店撤退の新聞記事の中に、呉市の担当者が〝撤退は青天のへきれき〟云々というコメントがあったが、それが建前ではなく本音だとしたら、呉市の情報力の弱さは町を毀すものでしかない。
市がお膳立てをして誘致したそごうデパートは、長い時間をかけて市内の商店街を疲弊させた。そして、また市が誘致したゆめタウン呉店のためにそごう呉店は閉店に追い込まれ、町の商店街はよりシャッター通りに近づいている。
私は、地方の町の商店街を歩くたびに寂しい思いが込み上げてくる。シャッターを下ろした店舗が続く商店街ほど寂しいものはない。旅人の私が思うのだから、この地に住む人達は故郷の風景をどんな気持ちで見ているのだろう。
地方の自治体にいくら立派な行政施設が出来ようと、その町の商店街が寂れてしまっていたら、町の魅力も半減していることを行政は自覚しているだろうか。
昔からの商店街が寂れた町には、必ず近くに大規模商業地が出来ている。大駐車場の中に、砦のような美しさが感じられない外観の建物である。そんな内向きの施設に人々が集まっている。悪法と名高い大規模店舗法が全国の地方商店街を潰し続けている。故郷の風景を毀し続けている大規模店舗のことを私たちも自覚するべきなのである。
〝地元の小さな商店で買い物をすることは社会貢献でもある〟と訴えるのは、いま世界で最も影響力のあるプロダクトデザイナーの一人であるジャスパー・モリソンである。
日々の生活に買い物は欠かせない。しかし、ここでの買い物の利便性とは「ショッピングセンターがあって、ブランド店のテナントが揃うような便利さ」だけではないように思うのだ。
ジャスパー・モリソンは、〝未来に残したいもの。私はプロダクトそのものよりも、小さな地域の社会システムの保存に興味があります。古いものがなくても生きていくことはできますが、私は地域コミュニティなしではハッピーに生活出来ないと確信しています。自分の暮らしているエリアの小さな店で買い物をするということは、昔から続いてきたミクロ社会制度だと思います。その経験はスーパーマーケットやコンビニで買い物をするより、豊かで有意義になるでしょう。地元の小さな店で買うこと、それは町の「寛ぎ」を作り出す最少限の社会貢献です。もし、買い物の手段が大型店やコンビニ、ネットだけになったら、町の環境は荒廃していくでしょう〟と言っている。このコトバを行政の人たち、町の人たちに届けたいと思うのだ。

2012年7月号

火曜日, 7 月 31st, 2012

◯月◯日
やっと"減塩サミットin呉"の当日がやってきた。会場の大和ミュージアムと呉阪急ホテルに編集スタッフも分散して、当日のスケジュールの記録取材に当たる。
私は開会式後のシンポジウム〝塩を知って、意識しよう(SALT CONSCIOUS)塩の歴史、文化"で20分話をすることになっていた。ちなみに、私の演題は"旅の味は塩の味〟!?
前もって演題を聞かれていたから、簡単に"塩"というコトバを付けた演題を出していた。そして、プログラムが出来上り、サミットの中での私が出るシンポジウムの並びの演題を見ると、どうも私の演題だけが浮いているではないか!?まあ、出してしまったのだから仕方ない、と腹をくくっていた。
ところで今回のサミットの発表の仕方の殆どが、PC発表だったことに驚いた。PCとスライドを連動して、自分で操作しながら発表する。発表時間も演台にセットされており、残り時間が刻々と明示される。こういう発表は今や当たり前とかで、学会では常識だそう。ただ私が遅れていただけのようだ。
というわけで、あたふたしながら20分喋ったのだが、スライドという絵のない発表は、気が抜けたビールのようなカンジになってしまった!?
シンポジウムを終えて、大和波止場のテントスペースに行く。今回サミットの市民参加の目玉が、美味しい減塩低カロリー屋台の食べ歩きと、減塩食品の試飲、試食。このテントスペースにあったのである。
昼前にも関わらず、すでに屋台には順番待ちの列が出来ていた。その屋台のならびに、サミットに合わせて発刊した〝呉食堂〟の売り場がある。
この本は、くれえばんに4年に渡り連載を続けている"こだわりのヘルシーグルメDietレストラン"をまとめたものである。一食あたり600カロリー、塩分3g以下の料理を呉地域の料理人に作ってもらった。しかも、どんなにカラダによくてもおいしくなければ、というくくりをつけてである。
また、この企画は医師である日下美穂さんと呉地域の料理人、そして管理栄養士が一緒になり、進めてきた。医師と料理人と管理栄養士、そしてタウン誌が"医食同源のマチ・呉にようこそ"というメッセージを込めて作った本が"呉食堂"なのである。"呉食堂"とは"呉方式"ということで、日本で初めての町ぐるみの減塩運動である。
二日間でサミット来場者は目標の二倍以上、7500人を数えた。そして大和波止場のテントスペースの来場者は楽に一万人を超えていた。また、減塩食品の試食コーナーや屋台の来場者の感想を聞くと、決まって健康に関心深く、食に対してレベルの高い人が多かった。そして来場者は呉地域以外の人の方が多かった。

◯月◯日
小沢昭一主宰の劇団「芸能座」で一緒だった中西和久から、今から呉に行くので会わないかという連絡が入る。中西とあったのは、10年以上前になるのか、教育委員会主催のひとり芝居を呉市民会館で演った時だった。
中西は当時既に自分の事務所を持ち、ひとり芝居で全国に公演を続けていた。芸能座では私と同期の演出家の栗山民也同様、中西和久の活躍もマスコミから伝わってきていた。
今回呉に来たのは、来年全国の市民劇場で公演する候補作にラインナップされている"中西和久のエノケン"の営業に回っているとのことだった。
久しぶりの中西は、貫禄はついたが、話をすると若い頃と雰囲気は全く変わらない。しかし近況を聞くと、いい仕事を続けているようで、地方にいる私などは羨ましいかぎりである。"20代にやりたいことは、石にかじりついてもやり遂げる、時間がかかってもやり遂げる"。やり遂げて今がある中西と話をしていると、にわかに私の体も熱くなってくるのである。
中西が置いていったパンフレットに小沢昭一さんとの対談が出ていた。師弟対談と銘打たれていた。
"ここで、ウラヤマシィ〜と言っちゃあ、おしめえよ"!?

2012年6月号

火曜日, 7 月 31st, 2012

○月○日
今月の特集の〝千円散歩〟は〝上道路〟。宮原12丁目の坪内小学校から和庄小学校上の清水3丁目までの上道路散歩だ。
休山の麓、いくつもの尾根を巡る高台の道が上道路で、とにかく眺めのいい道が続いている。
私はこの上道路の下、清水通り育ちなので、上道路には馴染みがある。子どもの頃、散歩などするタイプではなかった父が、珍らしく散歩に行こうと言い出し、ついて行ったことを思い出す。神応院から清水谷の坂道を上り、萬年寺上の上道路に出て、宮原方面に向かう。そうすると急に呉の中心街や呉湾が眼下に広がる。高台のせいか風が通り、何か漂う空気も澄んだカンジがしたものだ。
清水から宮原と地名が変わる尾根は、ちょうど宮原1丁目の崖の一帯だ。この尾根を回ると、また呉湾の眺望が広がり、道の海側にコンクリート塀が続くところが見えてくる。これが、戦時中国家機密だった戦艦「大和」建造の海軍工廠ドックの目隠し塀である。その名残りがこのコンクリート塀なのである。
また、当時のもう一つの散歩ルートは、上道路から休山に登る沢の道である。そして、その先に〝源宗坊〟がある。当時の源宗坊は、自然豊かな丘陵に流れる小川が主役で、回遊式の庭園の中にあるお寺さんといった趣だった。四季折々の花木が咲き乱れる風景は、今でも思い出すのだが、まさに極楽浄土の絵を想わせるほどの見事な庭だった。
しかし、その風景も残念ながら昭和43年の大水害で姿を消した。そして、今のような鬱葱とした林の中に色鮮やかな仁王像や大仏が点在する不思議ゾーンのお寺として知る人ぞ知るスポットとなっている。
上道路は、休山側に住む者にとっては少しは土地勘があると思うが、その他の呉に住む人は、上道路の存在を知らない人が多いのではなかろうか。
今回の〝千円散歩〟、眺めのいい上道路を歩くと〝呉の物語に当たる!?〟はおいしい銘水が飲めたり、御利益があるお寺や、懐かしい昭和の風景に出会ったり、必ずやあなたの琴線にふれる情報がある筈です。
是非出駆けてみて下さい。
○月○日
NHK大河ドラマ「平清盛」が低視聴率にあえいでいる!?平安時代を史実に忠実に描こうとし過ぎるために、町の風俗が汚く、画面がキレイでない!?そして、公家の華やかな様子に対して、平家や源氏の武士の地味な世界に視聴者の気持が乗っていけない!?ということらしい。
平安時代後期に武士が抬頭してくるわけだが、その物語、貴族と武士の葛藤が見せ場になるのかな、と私は思っていたのだが、どうも描き方が弱いようだ。韓国ドラマの勧善懲悪を全面に押し出す、ちょっと恥かしいけどここまでやるか!?という描き方をしない。上品なのである。韓国ドラマを見慣れている女性陣には、物足りないようだ。
ということで、早く〝平治の乱〟をたっぷり見せて欲しいものである。平治の乱の描き方が弱いと、その後も〝地味〟のまま終わりそうな気配だ。「清盛ブーム」に乗ろうとしている地元の呉に住む私としても、このNHK大河ドラマは人気であって欲しいのである。
○月○日
呉市で開催される第一回「減塩サミット」に、一般の人々にも関心を持ってもらうために「減塩」のポスター、作文、川柳を一般公募した。そして、その審査に私も参加した。
ポスター部門の最優秀賞は吉浦小学校の川戸 春喜さんと郷原中の押川 穂香さんに決まる。吉浦小学校は「食育」推進校として地域では有名で、本誌でも何度か取材したことがある。やはり、その成果というべきか、食育授業の様子を描いた絵は、ユーモラスなポスターに仕上がり、食育が学校に根付いていることが分かる。
作文部門は、広南小学校の矢野下菜緒さんの「家族と健康」が最優秀賞に決まった。彼女は食育の授業を受けて、塩分を意識することが健康につながることを知った。そして、自分の家の料理はこい味で、その味に慣れてしまっている。では、どうしたらいいのか?を素直に綴っている。
応募された小学生の作文を読むと、つくづく「食育」は必要なのだなと思うのである。子どもは食育で学んだことを家に持ち帰り、家族に伝えている。このいい意味でのコミュニケーションが家族にも有効のようだ。〝うちは濃い味〟と皆が認識するところから始まるのである。
しかし、現実の子どもの食事は、個食が主のようで、家族一緒に食卓を囲むのも週一度位のようである。だから、「食育」も子ども達だけではなく、両親にも食育が必要で、特に食卓の囲み方を見直さないかぎり、家族が子どもの食育の芽を切り取ることが続くと思ったのである。
川柳部門は全国から九百句近い投稿があった。読む側としたら、なかなか大変だったが読み進むうちに、自然に顔がほころび、ニヤリとする自分に気づく。うまいな、という川柳に出合うと、その作者のことを想像するのである。ああ、これが川柳の魅力だなと思ったのである。
その中から私が選んだ句を紹介する。

ラーメンの つゆ(汁)が敵とは
つゆ(露)知らず

そこの塩 おひかえなすって
身のためだ

味薄い わざとなんです
お義母さん