Archive for 12 月, 2012

2013年1月号

水曜日, 12 月 19th, 2012

小沢昭一さんが亡くなった。
このことが〝私の重大ニュース〟になってしまった。
小沢さんの体調が悪いことは、今年呉に来た芸能座時代の仲間、中西和久から聞いていた。しかし、こんなに急に亡くなるとは—。
’70年代、小沢さんは主宰する劇団芸能座の座長で、私は劇団の研究生だった。当時の小沢さんは、作家の野坂昭如さん、永六輔さんと組んで〝中年御三家コンサート〟を武道館で開いたりして、マスコミの寵児だった。戦中派の3人のオジさんは〝’70年代のイケイケ日本〟の行く末を案じて、自ずからトリックスターを演じてみせていたように思う。私は’70年代のその渦中に小沢さんの劇団の門を叩いたのである。
芸能座の座付作者は井上ひさしさんと永六輔さん。舞台ごとに外部から木の実ナナさんやピーターさんなどを客演で迎えていた。とにかく舞台は人気があり、紀伊國屋ホールの動員で新記録を打ち立てた程だった。
そんな中、私は小沢さんの、〝付き人〟を仰せ付かった。舞台公演が主だったが、時には映画やテレビ出演の現場に付いて行ったこともある。公演では、楽屋入りから出までが私の付き人の役割である。
役者は楽屋に入り、化粧前でドーランを塗り、衣装に着替える。舞台での役者に成り切る時を楽屋という場で整える。なんというか独特のメリハリのある雰囲気である。そして、芝居が終わった後の楽屋は、打って変わり賑やかな雰囲気に包まれる。今思い出すと、小沢さんの楽屋には錚々たる人達が訪ねて来ていた。有名人はもちろんだが、私が顔を知らない人達も後で聞くと、各界の一流の人達だった。私は傍にいて、小沢さんとその人達との交流を垣間見たのである。今思えば、その時代の大変貴重な場に立ち合っていたのである。私は悲しいことにただボーッとしていた。情けない。
当時の小沢さんは、劇団芸能座の主宰と「芸能東西」という季刊誌を発行していた。民族学者で高名な宮本常一さんも名を連ねていた。編集長は山本益博さん(今は食評論で有名)だった。小沢さんは大道芸や放浪芸の研究者として、滅びつつある芸を音や記録に残すことも続けていた。
その中で、ビクターレコード「日本の放浪芸」シリーズの中にストリップショーの編集盤があった。そのレコードの一部の音の録り直しをする為に木更津のストリップ劇場に小沢さんに同行したことがあった。桐かおるさんの舞台だった。録り直しは舞台で繰り広げられるレズビアンショーへ、客席からの掛け声と拍手を入れることだった。舞台に流れる〝ピンポンパン体操〟の曲に合せて段取り通りに入れないといけない。ま、あまり詳しく書けないことなのだが、2回目でうまくいった。こういう仕事というか、ありがたい場に立ち合う経験も小沢さんの傍にいるからこそ、とつくづく思ったものである。「日本の放浪芸」シリーズはその後、なんとレコード大賞特別賞に輝いた。私はその受賞を知り、あのレコードに私の声も入っていると思うと、つい頬がゆるんだことを思い出す。
また、小沢さんは、私達研究生に江戸下町文化のことを伝えたいと言われた。西日暮里の諏訪神社に私達を稽古に通わせたり、浅草の料理屋の二階で幇間芸を見せてくれたりした。弱輩の私達に本物の伝統芸に直に触れることを教えて頂いた。それにしても、座蒲団を使うお座敷芸を披露する幇間、大鼓持さんの雰囲気のいいこと、プロの間のスゴさを憶えている。
’80年代になり、私は東京から呉に帰り、そしてタウン誌を始めることになる。東京での舞台や映像の〝昔取った杵柄〟ではない、雑誌の編集の仕事である。
本誌が月刊になる前、創刊したてで、いつまでタウン誌を出せるものか苦労していた時、小沢さんが一人芝居の舞台で呉に来られた。その時にお会いして、取材のようなことに応じて頂いた。広島に向かう呉線の車中でだった。小沢さんは、〝私が初めて呉に来たのは高校生の時で、軍国少年の私は海軍兵学校のある江田島に試験を受けに来た。受験生の私達は吉浦駅に降りたのだが、早朝過ぎて江田島への船が出ない。困った引率の先生が、駅裏の遊郭で暖を取らせて貰ったことを、今でもよく憶えている〟車窓に見える吉浦を通った時の話である。
小沢さんは兵学校に合格して少年兵として入隊、防府で終戦。敗戦後の日本人の風景がガラリと変わったことがショックで今でも引きずっていると言われた。小沢さんは、戦後の日本の社会状況のことを声高には言わないが、体制側にも反体制側にもスタンスを置かず、少々斜に構えた独自の語り口で長い間表現し続けてきた。
最近の20年くらい、小沢さんは文章や俳句の仕事が多かったせいか、沢山の単行本や文庫本、そしてCDまで立て続けに出版されていた。私は幸いにも贈呈本として数多くの本を頂き、ありがたかった。それらの文章を読む度に、〝ああ、このことだったのか〟とか〝これが肝だ〟と腑に落ちることが常だった。
3・4年前になるが、芸能座の研究生達が小沢さんを囲む会をした。20年・30年振りの仲間が全国から集まった。
小沢さんはその時、集まった私達一人くに色紙を書いて一人くに手渡してくれたのである。
〝青春ふたたび〟 小沢昭一 と書かれていた。
小沢さんは亡くなったが、残されたモノは沢山くある。私は小沢さんを通して〝青春ふたたび〟をやり切らないといけない、と今思っているのである。
合掌。

2012年12月号

水曜日, 12 月 19th, 2012

◯月◯日
〝今年、うまいもん食べた?〟と会う人ごとに聞いてみる。〝うーん、ちょっと待って〟と記憶をたどる様子で、だいたいその人の食への興味の深さが見えてくるのである。
私もこの一年、季節くの旬のもの、ことを思い出してみたい。
まずはカキ。年が明けて寒さと共に旨味が増す〝広島カキ〟。中でも岩ガキが本当に旨い。倉橋島の岩ガキは市場には殆ど出てこないので、入手するには人づてに頼まないといけない。しかし、幸いにも今年は行きつけの店に岩ガキの〝酢ガキ〟のメニューを見つけ、何度も通って堪能したのである。養殖ガキとは別ものの貝というか、海の深い滋味というか何粒でもスイスイと口に入っていく。地元でしか食べられない岩ガキ、今年も、いや来年になるのか、今から楽しみである。
私は一年を通して一番多く食べる料理は〝鍋〟である。今年も色んな鍋料理を食べたが、中でもうまかった鍋が〝ほらふき鍋〟。本誌で連載している浜田信郎さんの〝酒場礼賛〟で取り上げた本通2丁目の〝ほらふき〟の鍋だ。いわゆるモツ鍋なのだが、山のように盛られた具材のボリュームがすごい。主役の生ホルモンとみそ味のたれが山のような野菜に溶け込み、旨さがどんどん増してくる。九州のモツ鍋より〝ほらふきの鍋〟がうまいと思ったのである。
また、アウトドアで食べた鍋もうまかった。花見にした〝海藻若芽のしゃぶしゃぶ〟と月見にした〝いも煮き〟だ。とくに花見の鍋は、地元里海の10種類以上の初春の海藻若芽を獲ってきて、食べ比べるというぜいたくな楽しみ方をした。茶色の若芽を鍋に入れた途端にキレイな緑色に変るのを見ながら、しゃぶしゃぶと食べる。これぞ海の滋味。初春の海藻若芽は、里海の宝もの、御馳走だとつくづく思ったのである。
今年も時間が出来ると旅をしてきたが、旅先の市場にもいつものように顔を出した。そして私の市場の基準〝土佐の日曜市〟より良いか悪いかを見るのである。今年も土佐の日曜市より良いところはなかった。
私の日曜市のお目当ての店は何軒かあるが、第一のお目当ては〝土佐の廣丸〟である。川ガニでは〝モズクガニ〟、そして汽水域で獲れる〝エガニ〟である。土佐は急峻な山に囲まれ数多くの清流を抱える地で、山の幸、川の幸がとにかく豊富である。その高知県全体の幸が毎週日曜日に市となって集まるのだから、これもぜいたくな流通、日本の秀れた食文化がここにある。
卵が入ったモズクガニ。身もミソもワタリガニとは一味も二味も違うエガニは、〝買い〟である。市場に出ないこの2つのカニを日曜市で出合えば必ず買う。今年もほんまに旨かった。
カニといえば〝酔っぱらい蟹〟のことを書いておかなくてはならない。生きた蟹を酒で漬け込むやつ。小さな香箱蟹を紹興酒で漬け込んだ酔っぱらい蟹を松山の居酒屋〝呑舟〟で食べた。日本酒の肴としてはこれ以上ないぐらい旨い。もう一軒は、蟹の本場金沢の居酒屋〝いたる本店〟で食べた純米酒に漬けた酔っぱらい蟹だ。これも旨い。酔っぱらい蟹をつつきながら酔っぱらうのだから、もう困ったもんである?!
酔っぱらいついでで、旅先のうまいもん居酒屋について書く。関西の名店といえば、大阪阿倍野の〝明治屋〟天神橋の〝居酒屋豪〟、京都干本の〝神馬〟が代表格だ。この3軒にも、私今年行って参りました。店の椅子に坐り、最初の酒を口にすると、途端に昭和の雰囲気に包まれるようで心地いいのである。
名店と呼ばれるのには理由がある。吟味された日本酒、そしてお客を分け隔てしない接客、酒の肴として質の高い料理、各々品がある。あくまで大人の酒場なのである。そして特筆ものは、神馬のブレンド酒と明治屋の古い燗付器を通した燗酒、どちらも燗上りのやわらかい酒で、この上なくうまい。
また、居酒屋豪の丹精込めた定番メニュー、焼き物、揚げ物、煮物、すべて旨かった。しかし、残念ながら今年いっぱいで閉店します、という挨拶文が店内に貼られていた。残念なことである。
さて、お酒続きで地元呉の今年のうまいもんは、中通り〝オオムラ亜〟で飲んだ呉地ビール。これがダントツうまかった。特にピルスナーの細かくかたい泡と澄んだ味の生ビール。そして、アルコール分9%のバーレーワインという生ビールも、ちょいと飲んだことのない濃く深い味。旧式の〝オオムラサーバー〟を通した生ビールを求めて、全国からやって来るビール好きが後をたたないという。
今年、最後のうまいもんは、クレイトンベイホテルでの城悦男さんの料理だ。城さんは呉市広の出身で、現在東京で〝ヴァンサン〟のオーナーシェフをしている。本誌には10年以上前になるが、〝癒しの日記〟コーナーに何回か登場して頂いたことがある。その後、テレビの〝料理の鉄人〟などで活躍、今やフランス料理界の重鎮と呼ばれている。
それにしても、やはり城さんの料理はスゴかった。これが、今日本のトップランクの料理人の作る料理なんだとつくづく感じた。
〝クレイトンの雫〟と題したメニューは、•一口の楽しみ•カニとトマトのミルフィーユ、ソースクレソン真鯛の自家製スモーク•フォアグラのコンフィ•温製コンソメポロ葱のロワイヤル仕立て•甘鯛の切り身•オマール海老のムース詰め蒸し、白ワインソース•牛ロースのロースト、赤ワインソース
こうして〝今年のうまいもん〟を書き続けていると私の〝うまい〟という表現の伝え方の拙さをしみじみ感じるのである。〝本当においしい〟〝うまいのなんの〟〝すこぶるうまい〟—!?
〝今年、うまいもん食べた?〟という会話をしてみて下さい。このご時勢だからこそ、足元の〝食〟のことが大事だと思うのです。

2012年11月号

水曜日, 12 月 19th, 2012

◯月◯日
広島カープは今年もBクラス、〝定位置〟で今シーズンを終えた。のだが、観客動員数は約159万人で、歴代3位の動員数だという!?
8月まで投手陣の活躍で3位を保ち、初のクライマックスシリーズ進出に期待したファンの応援が観客動員につながったのだろう。
毎年春先になると、地元メディアがこぞって〝今年のカープはいい、今年はやりますよ〟という報道一色になる。カープ御用達の評論家のノーテンキな挨拶のような解説を聞きながら、私たちはまたかと思いながらもひょっとして化けるかも?!とかすかな期待をふくらませながらペナントレースを見続けてきた。
この繰り返しで、15年連続してBクラスに終わっている広島カープ。もうそろそろ、どうしてBクラスのままなのか根幹の問題を俎板の上に載せる時がきたと思うのだが—。
結果を残せないことは、監督の責任でもあるが、球団社長の責任でもある。球団経営とは、事業収支の数字はもちろんだが、球団の成績も管理責任の要である。
監督を代えてもダメなものは、やはり社長も代えないとダメなのである。要するに、カープを変えるには、球団すべての〝意識〟を変えないとダメ。
〝カープは貧乏球団だから—〟年俸の高い選手は雇えない、置いておけないというのは、やめましょう。カープで育った選手がFAで他チームに出ていくのも、すべて高年俸のせいだけで片づけられない。球団の対応のまずさも一因と言われているのだ。
特に、地元出身の選手をいとも簡単に出したり、ドラフトでも指名を逃すことは、観客動員でもずいぶん損をしていると思うのである。地元出身の新人は競争してでも獲る。〝広島〟という地元志向をもっと強く出すことがカープにとっては野球人気を保つコツなのである。
それにしても、今年のカープの攻撃陣の魅力のなさは、歴代サイテーではないだろうか。故障者続出で想定外の事態だから貧打線は仕方ない、と球団がサジを投げてるカンジ、対策を打たない、無為無策のカンジが、今の民主党政権とダブって見えて、腹が立ったことが再々あった(ちょっとオーバーか)。
それにしても、カープの投手陣は可哀そうだった。それでも防御率1位の前田健太、2位の野村祐輔、6位の大竹寛と、歴代でもサイコーの部類になるかも知れない投手陣だった。
それにしても、ヤンキースで活躍している黒田投手が帰って来たら、優勝争い出来るぞ、という夢は持ってはいけないだろうな(笑)。
◯月○日
イノシシが出たという。どこで?と聞くと、清水通1丁目のバス停近くだったと言う。いやいや、もっと坂を下りた亀山神社入口のファミリーマートで見たという人もいると言う。
宮原12丁目の家の前でイノシシと出会したと言う友人は、細い路地にこんなにでかい尻のイノシシですれ違いも出来なくて恐かった、と手を大きく広げてみせる。そんなに大きな尻のイノシシならさぞ馬のような、という冗談も言えないほど、よくイノシシが出るという。
このままいくと、亀山神社下の四ツ道路に〝イノシシ出没〟は時間の問題らしい。
ちなみに、イノシシは休山の坂を流れる川をイノシシ道にしているらしい。
○月○日
呉の地ビールを中通りの〝オオムラ亜〟で飲んだ。これが旨いのなんの、それは素晴しいビールだった。海軍さんの麦酒舘とオオムラ亜のコラボレーションで、出来立ての地ビールをオオムラ装置の冷蔵庫からのスイングコックを通して生ビールを作ったのである。
ピルスナー、ヴァイツェン、アルトの3種。オオムラの炭酸がやわらかい分、それだけ泡がきめ細やかになる。特にピルスナーの泡は細やかで、グラスの上に白いクリームのように盛り上がる。そして、飲み干しても、グラスの底に溜まった泡がグラスを逆さにしても落ちない。泡がカタイというらしい。
これほど旨いビールは私の長い飲酒歴でもダントツ、飲んだことがない。いやはや、この地ビールがふつうにオオムラ亜に出されることを願うばかりだ。
海軍さんの麦酒舘さん、何とか出来ないもんですか、のお?!