Archive for 2 月, 2013

2013年3月号

土曜日, 2 月 16th, 2013

◯月◯日
呉そごうが閉店した。
今さら言っても仕方ないが、私達市民がもっと呉そごうを利用していたならどうなっていただろう!?
いやいや、商売は商売。呉そごうに〝デパート力〟がなかったから、私達が見限ったということだ!?
そうはいっても、呉駅前の〝呉の玄関〟の顔だった呉そごうがなくなったわけで、民間の商業施設の失敗、と単に片づけられない事情があるのだ。
呉そごうの営業は23年だった。あまりにも短い期間での撤退である。〝約束が違うだろ!?〟と言いたいのは呉市役所だろう。
駅前開発事業で、デパート誘致の為に呉駅駐車場を作るなど、ちょっとやり過ぎではないのかと言われた程の支援をしてきたのに—!?
しかし、呉市役所は呉駅前開発から〝駅裏開発〟を続けたのである。その結果、大和ミュージアムへの道をゆめタウンのど真中を通すという、スゴ技を使って、駅裏支援をした。〝そこまでするか呉市役所さん〟と呉そごうは言いたかった筈である!?
いまだ呉そごう閉店跡の道筋が見えないことで、呉市民の侃々諤々の声が聞こえてくるのである。
思い返すと、月刊くれえばん創刊時の編集室は、呉駅前の増岡組の3階を間借りしていた。そして、その2階に呉そごう開設準備室があったのである。1985年、12月のことだった。
当時の駅前開発で問題があったのは、デパート誘致のことで中央地区商店街が反対運動を続けていたのだ。しかし、市民の声は〝呉にデパートが来る〟ことに大歓迎だったのだ。 1990年に呉そごうは華々しく開業した。売上は広島三越を上回る程だったが、しかし、本体の〝そごう〟が経営に行き詰り、経営システムが変わった。その頃から呉そごうの売り上げは右肩下がりが続くのである。
本誌も裏表紙のスポンサー〝呉そごう〟が消えたのもその時だった。
こうして振り返り、少し引いた目で時を追うと、行政の目先重視の開発事業の拙さが見えてくるのである。 行政のトップ、市長が代わると継続事業の色合いが大きく変わってくる—。いつも気が抜けた事業になってしまうのである。
呉駅前の呉そごう跡を見るたびに、〝町が寂しい〟という気持ちが湧いてくる。市民のそんな気持ちがボディーブローのように効いてくるのを阻止しないといけませんよ、市役所さん!?
◯月◯日
いま呉の町の喫緊の問題というか話題は、呉そごう撤退後の跡地はどうなるのか!?そして、呉市の新庁舎建設の〝急ぎ過ぎる展開〟に市民がついていけないと思っていた矢先、〝青天の〟の事態が起こったことである。
新庁舎建設工事入札がゼネコン全社辞退で中止になったことである。入札は4社が参加申請をしていたのだが、全社が〝予定価格では出来ない〟と辞退したというのだ。前代未聞、何で全社が揃って!?
先月号にも書いたことだが、新庁舎は9階建て、議会棟や市民ホール、公用駐車場を合わせた延べ面積は約3万9千㎡。総事業150億円の財源の6割は合併特例債で国の負担である。
去年までの民主党政権で、緊縮財政を進めなければという時に、どうして市役所を急いで建て替えないといけないんだ!?という意見は呉市議会には反映されなかった。急いで進めなければならなかった特例債の発行期限も伸びたというのにだ。また、3年前に現庁舎の耐震工事を1億8千万円もかけてしたというのにだ。
あっという間に中央公園の一番いい林を伐ってしまい、市民会館もきれいさっぱり消えてしまった。
そんな中、異例の入札中止が起きたのだ。
アベノミクス→補正予算の公共事業の増大→ゼネコンの悪い体質が出現!?で、地方都市呉にも大きな不思議な波が押し寄せたということなのか!?
急な公共事業の拡大で資材高騰や人材不足が影響して採算が合わない、とゼネコンが言い出したことだけなのだろうか!?
しかし、そんなことはゼネコンは予想出来ていた筈なのである。それも4社が同じように辞退したのである!?
おかしなことがいま呉で起きているのだ—。
日本全国、行政自体のハコモノ建設は緊縮財政時にも拘らず粛々と進む。地方自治体も緊縮財政時に拘らず特例債を使ったハコモノ建設を粛々と進める。
どうしたことだろう、アベノミクス政府の風が吹き荒れ過ぎた為にゼネコンが浮かれ過ぎてしまっているのか!?
貴重な緑の林が消えた新庁舎予定地のさら地が、私達の目の前にあることをただただ知って欲しいのである。

2013年2月号

土曜日, 2 月 16th, 2013

◯月◯日
亡くなった小沢昭一さんの「俳句で綴る 変哲半生記」の新刊が送られてきた。12月20日発行と記されている。
小沢さんが亡くなったのは12月10日だからこの本が小沢さんの手懸けた最後の本なのだろう。
あいさつ文にこうある。
〝今までに詠んだ句を集めましたら、およそ四千にもなりました。改めて眺めてみますと、どの句にも「自分」というものがチラチラと出ているように思えます。特に「駄句」にこそ私らしさが現れておりますので、あれこれ選ばず、恥ずかしながら詠んだ句全てを載せさせていただきました。まさに、これも私メの半生記と申せましょう〟
俳号の〝変哲〟は、意外にも小沢さんの父の俳号を頂いたと書かれている。時代の俳句を読み進めていると、小沢さんという〝俳人〟の感性が溢れ見えるようで、急いでよむことをやめた。ゆっくりよんでいこうと思ったのである。

湯の中の わが手わが足 春を待つ
落第や吹かせておけよハーモニカ(春)
もう余禄どうでもいいぜ法師蝉(夏)
椎の実の降る夜少年倶楽部かな(秋)
寒月やさて行く末の丁と半(冬)
「変哲半生記」より。

◯月◯日
大晦日、NHKの紅白歌合戦を見るともなく眺めていた。と、画面が真黒になった。舞台の暗転か、それにしても長い暗転—そして少しずつ明るくなった舞台に美輪明宏氏が登場、「ヨイトマケの唄」を歌い始めた。
美輪氏は、いつもの黄色の髪ではなく、黒髪、男装の出立ちである。そして、舞台だからこそのただならぬ緊張感がテレビ画面から徐々に伝わってくる。私は目が覚める思いでテレビから流れる唄に聴き入ったのである。
いやはや、スゴイ舞台を見せてもらった。美輪明宏という歌手、いや最高の芸能者に脱帽した。恐れ入りました。
今の日本社会の現状に〝喝〟を入れてやろうという美輪氏一世一代の舞台でありました!?

◯月◯日
火野正平の〝にっぽん縦断こころの旅〟に呉が映った。呉の竜王神社を目ざしてのサイクリングの様子である。呉駅ではなく何故か新広駅で下車して、自転車で呉越を越え、岩方町の坂道を上って行く。おいおい、どうしてそんな遠回り、しかも坂道を使うの?とテレビに向かって声を出しそうになる。
新聞のテレビ欄に〝呉・坂の上の絶景〟とあったので、休山や灰ヶ峰の上道路を自転車で巡るのだ、と勝手に思ってしまっていたのである。
火野氏はやっとのことで竜王神社に着き、境内から呉の町が一望出来る急階段の一番上に腰をおろして、その風景の中での感想を話し始める。その中で、火野氏の妻の母方の里が呉市で、何回か呉に来たことがあるが、こんな高台に上ったことがなく、眼下に広がるその景色に驚いていた。
神社続きでいえば、竜王神社から一週間もたたずにテレビの2時間ドラマ〝浅見光彦シリーズ〟に亀山神社が舞台になり、ドラマが展開していたのだ。原作は内田康夫の〝はちまん〟である。はちまんは八幡神社の八幡のこと。全国に多々ある八幡社の謎の推理ドラマだった。内田氏の推理小説には、よく広島県が舞台になるのだが、何か土地鑑があるというか、繋がりがあるのだろうか?
テレビに映った亀山神社は、由緒正しい荘厳な雰囲気を漂わせ、映りは良かった。

◯月◯日
呉市出身の画家、船田玉樹さんの個展が1月21日から広島県立美術館で一ヶ月間開催される。展示作品は約230点にのぼる大きな展覧会になるようだ。船田さんは日本画を基礎とした前衛画など本当に多彩な表現をした作家で、中央画壇とは一線を画する活動を貫き、孤高の画家と言われた。
船田さんは1991年に亡くなったが、私はその前年にお会いしたことがある。広島で〝友川かずき絵画展〟をした時に、見に来て頂いたのだ。友川氏の絵をしきりに誉められたことを覚えている。私は故郷が誇る画家である船田さんのことは絵では知っていたが、私がプロデュースした個展で、突然お会いしたので、特に嬉しかったのである。
船田さんの作品展は、近年東京や京都で開かれて、〝こんなスゴイ作家がいたとは—〟と驚嘆の声が広がり、どんどん注目を集め始めている。
今月号で少しだけ取り上げたが、もう一度じっくり船田玉樹さんと向き合いたいと思っている。

◯月◯日
成人の日である。よく冷えるなと思いながら、窓から灰ヶ峰を見ると、なんと山の中服から上が雪化粧をしているではないか。しかし昨夜からの雨はやんでいるようだ。
振り袖姿の新成人を心配しているのである。毎年、成人式に取材に行き、本誌で〝新成人の貎〟として掲載し続けて20年余り。次号の〝卒業高校生特集〟と共に大マンネリ特集なのだが、これが人気というか、よく売れてしまうので、本誌としては〝黄金企画〟なのである。その〝新成人の貎〟企画を今年から縮小というか、取材をしないことにした。まあ色々と理由はあるのだが、今号は投稿写真のみの掲載とした。残念なのだが、仕方なかったのであります。