Archive for 3 月, 2013

2013年4月号

月曜日, 3 月 25th, 2013

◯月◯日
呉そごうが閉店してもう少しで二ヶ月経つ。その影響が徐々に各方面に出てきている。その一つが呉そごうで営業していた店の何軒かが中央商店街やゆめタウンに移転営業を始めたことである。
今のところ週末や休日の人の流れは、ゆめタウンのひとり勝ちの様相だが、中央商店街でも福屋がリニューアル、他に新店舗が何軒かオープンして、少しだが人の動きが感じられるようである。
呉市全体としてみたら、呉駅の玄関にあった呉そごう閉店は、かっこうの悪いことだが、人の流れが変わったことをチャンスと捉える発想があってもいい。しかし、今のところ呉駅裏に流れる人出は多くなるばかりで、中央商店街への人の流れは弱いままである。
いいも悪いも、人の流れを変えるものを認識しておかなければいけない。
昔、中通商店街は〝横のデパート〟として繁盛を極めた。中通商店街に行けばありとあらゆる商品が買えたからである。
そんな目で現在の商店街を見てみると、まずはあって然るべき業種店がないのである。その代表が本屋だ。本の背表紙を見ながら、本との出合いを楽しめる本屋がない。本屋は町の大事な装置なのだが、商店街の人が分かってないのだ。本屋がなくなれば、誘致すればいいのである。それ位のことをしなければ、人の流れは作れないと思うのである。
今、中央商店街は小さなチャンスなんだけどなあ︱。

◯月◯日
呉市の新庁舎建設工事入札が、全社辞退で中止となった問題で、市は地元業者優先の条件を緩和して、4月に再入札を公告することにしたという。
おかしな成りゆきになってきているのだ。どうしてそんなにことを急ぐのかなあ、と私たち市民は首をかしげている。
新聞によると、全国的に市役所の建て替えが相次いでるそう。そんな中、事業費が100億円を超える例はそう多くなく、県庁所在地では規模が大きくなる傾向があるが、那覇市は89億円、高知市は100億円〜111億円、秋田市は130億円と、呉市を下回っているのだ。
呉市の150億円は何とも分不相応ではないの!?新庁舎のイメージ図面を見ると、何でまた、新しい文化ホールが要るの?!公用車駐車場が何でこんなに立派なの?!おいおいと、ツッコミを入れたくなるのだ。
市は、4月の市議会臨時会で再入札に関する議案を提案、続いて入札、夏には着工したい考えだそう。地元業者の下請けを強く促すために採用した〝総合評価方式〟が裏目に出たのである。ゼネコン、サブコンの企業体では、工事が赤字ならサブコンは大赤字を負担させられるのが通例という。そうなれば、地元業者も大損になり、市の下請け重視も本末転倒のことになるのだ。だから、どこがしても恨みつらみなしで、単独工事の入札をした方がクリーンという意見が正しいのではないか!?
それにしても市議会は、また市の言う通りに承認して、再入札に向わせるのだろうな。
議員の中には、呉そごう跡に市役所を、という意見もある。4月の臨時市議会の中で、急がないで議論を尽くそうよ、という意見が出るのか、〝市議会はもう要らない!?〟という承認議会になるのか、市民も注目すべきときである。

◯月○日
倉橋町の倉橋小学校、尾立小学校、倉橋東小学校の3校が閉校するというので、取材に行ってきた。
3校は共に明治9年の開校である。実に138年の歴史に終止符を打つことになる。本浦の倉橋小学校の取材を終えて、次の尾立小学校へ行く。尾立は久し振りである。
私にとって尾立は懐しい地なのである。父親の故郷なので、私の小学校時代、夏休みには必ず一週間位は尾立で過ごしていた。
鍋桟橋から船に乗って尾立の裏側の袋の内湾に着く。そこから峠を越えて尾立の町に下りて行くのである。
当時の尾立は、映画館や旅館などが建ち並ぶ一本道の商店街が海から山に向けて通っていた。小学校は木造校舎で、大きなくるみの木があった。校庭の門の横には立派な二宮金次郎の銅像があった。
久し振りの尾立小学校の門をくぐる。小学生の〝こんにちわ〟という声と共に昔からの二宮金次郎像が出迎えてくれた。
鉄筋コンクリートの校内を校長先生に案内して貰いながら、木造校舎当時の雰囲気を探すのだが、見つからない。木造校舎の空間の素晴しさは失って初めて分かるようである。3階の校舎から見える尾立湾、町の屋根の連なりだけは、昔と同じで美しく懐しい。
帰り際に、尾立小学校の閉校記念誌を頂いた。〝わが心の母校 138年の歩み〟である。パラパラと頁をめくると、卒業写真が明治42年度から現在に至るまで途切れることなく掲載されている。と同時に卒業者名簿も記されていた。私は自然に父の名前を捜した。昭和8年度卒業生の中に父の名前を見つけた。そして父の卒業写真に出合ったのだ。小学生の父はすぐに分かった︱。
何というか、不思議な感覚が体を包むのを感じた。続けて、親戚の姿を捜した。そして、父の母、おばあさんの小学生の姿もなんと発見してしまったのである。
一冊の記念誌が私に持たらした感動には、自分でも驚くほどだった。
これこそ、地域の中心として存在し続けた小学校の凄さを垣間見る思いだ。
いや、驚いた。こんなに凄いインパクトを与える印刷物ってあるのだ、とつくづく思ったのである。