Archive for 5 月, 2013

2013年6月号

水曜日, 5 月 22nd, 2013

◯月◯日
毎日新聞の一面に〝呉市仮設打ち切り〟という記事が掲載された!?
どういうこと!?唐突に〝呉市〟という字面が全国紙の一面記事に踊っていたのである。
東日本大震災の復興が進まないため、国が応急仮設住宅の無償提供を2年から3年に延長するよう全国の自治体に通知したのに、広島県呉市が延長せず、福島県からの被災者への市営住宅の提供を2年で打ち切っていたことが分かった。それについて、専門家は震災から2年では復興できず、住宅も確保できなかったからこそ、国は通知で延長を求めた。一度受け入れた被災者を行政の都合で〝出て行け〟と退去させるのは、あまりに酷だと批判している。
批判された呉市住宅課は〝市民の被災者のバランスを取らなければならない。入居者同士で気まずい思いをする可能性があり、無償提供は2年での中止を決めた〟と釈明した。
この毎日新聞報道に対して小村市長は〝打ち切りのことは職員から聞いていなかった。被災者を思うと厳しすぎた〟と次の日、撤回を表明した。
これらの報道を見ていると、今呉市で問題になっている〝新市庁舎建設〟での行政の対応が全く同じ、私たちが決めたことだから言う通りにしなさい、というお上意識丸出しを感じるのである。コレハイカガナモノカ!?

◯月◯日
広島市現代美術館の〝日本の70年代〟展覧会のオープニングに行く。
この展覧会は、学生闘争で日本が揺れた60年代終わりから80年代初頭までの70年代を中心とした時代の精神を、美術、デザイン、建築、写真、音楽、漫画など、多岐にわたるジャンルの作品・資料で回顧するものだ。
私が東京にいた時代と全く同じだから見るものすべて、当時の第一線の表現者たちの凄味が私の体の隅々にまで突きささってきたり、共感の喜びが湧いてきたり、様々な思いが込み上げてきた。
作家の粟津潔、宇野亜喜良、横尾忠則、寺山修司などに交じって谷川晃一、宮迫千鶴の作品も展示されている。本誌の表紙絵を描いて頂いている谷川さんが伊豆高原から駆けつけオープニングの席で挨拶をされた。〝同じ想いを持つ者が集まる場、いつ行っても誰かがいるたまり場があったからこそ、様々な文化が生まれた。それが70年代だった。そんなたまり場が広島にあれば、いや広島市現代美術館に現れて欲しい〟と話された。
その広島市現代美術館の館長に4月、国立新美術館の副館長だった福永治さんが就任した。福永さんは呉出身で、呉市立美術館を立ち上げた人である。実績のある人だから、新しい〝たまり場〟を作り出すことだろう。
〝日本の70年代〟は7月7日まで開催。

◯月◯日
宮原公民館で開催されている〝益川進・映画ポスター展〟に行った。益川進さんは大正7年、呉市宮原に生まれた。主に、東宝映画のチーフデザイナーとして、黒澤明監督など巨匠の映画ポスターを一手に引き受けて名を馳せた人である。そして、21年前に亡くなった。
亡くなる前、呉市に望郷の想い強く、何度か訪ずれたという。その時に描いた呉港の絵を母校の坪内小学校に寄贈した縁があって、今回の展覧会に繋った。そして、益川さんの娘、知実さんが呉市を初めて訪れ、私もお会いしたのである。
多くの黒澤明の作品ポスター、そして大島渚の〝愛のコリーダ〟、スティーブン・スピルバーグの〝太陽の帝国〟など、記憶にある作品のポスターデザインを呉の人が描いていたとは?!正直驚いた。そして、作品を見ると、デザイナー益川進さんの凄味がひしひしと伝わってくるのだ。
益川知実さんは、これらのポスターなどの作品を呉市に寄贈したいと、言われている。うまく伝えていければいいのだが―。

◯月◯日
今月の特集〝呉猫のいる風景〟いかがでしたか?
今〝猫本〟ブームだそう!?本屋には猫本コーナーがあり、ネットのブログもネコ花盛りだそう、です。飼い猫や野良猫の〝物語〟を伝えるブームなのだろうか!?
私も実は犬派ではなく、猫派である。旅に行くと、その地で出会う猫を撮ったりしている。
〝呉猫〟の特集は昨年から企画していたのだが、今呉地域で起きている〝連続猫死体遺棄事件〟のことがあり、どうしたものかと悩んでいた。犯人は愉快犯の可能性が強いといわれている。そういえば、10数年前にも同じような事件があったのである。結果はネットで猫の死体写真を投稿して捕まった。
そんな中、〝猫なんかよんでもこない〟というマンガを見て、やっぱり特集はやろう、と決めた。作者の杉作さんは元プロボクサー。〝猫は身勝手でキライだ。だけどケガでボクシングの道を断たれたあと、オレを頼ってくれたのは、このちっぽけな猫だけだった〟と杉作さん。本当にあった猫と男の物語だそうだ。私も読んで共感、何故か涙が出てきたのである。
〝猫虐待〟呉の地というマイナスの面を乗り越えて、私たちの日常の呉猫風景を伝えることに意味を見出すこと。猫なんかよんでもこない、を伝えたかったのである。