Archive for 3 月, 2014

2014年4月号

水曜日, 3 月 19th, 2014

○月○日
桜の季節だ。春になると、南から桜前線が日本列島を北上してくる。九州から北海道まで二ヶ月かけて桜が開花していく。
私の東京時代、渋谷の行きつけの喫茶店の常連に、明治大学でラグビーをやっていたテキ屋さんがいた。その人は、〝乾物売り〟で全国各地を回っていたが、年二回の大きな旅として、春の南から北への桜旅、そして秋の北から南への祭り旅があると聞いた。私は当時、劇団に所属していて、毎年全国公演で一、二ヶ月の旅をしていた頃である。
日本列島を桜前線に沿って北上していく〝テキ屋旅に私を連れてって〟とその人にお願いしたことがある。〝男はつらいよ〟の寅さん映画が封切られていたから、私も調子に乗ってテキ屋さんらしくない常連さんに頼んだものである。
〝ああ、いいよ〟と、言質は頂いたが、とうとう実現はしなかった。
だから桜の季節になると、あの桜前線のテキ屋旅に付いて行っていたらなあ、と思い起こすのである。そして、いつかそんな桜を追う旅をしたいと思い続けている。
しかし、桜前線の開花予想の日本地図を見ていると、私は意外に各地の桜の名所で花見をしていたのである!?
鹿児島中央駅前の甲突川辺り。熊本城。阿蘇の一本桜。博多の城跡公園。益田のしだれ桜。広島平和公園。岡山旧街道桜。大阪城。吉野の桜。京都円山公園。京都御所。伊豆半島河津桜。伊豆高原。東京井の頭公園。飛鳥山公園。そして青森弘前城ー。
桜咲くその地で、自称〝花見弁当〟となるような弁当を調達して、缶ビール持参でささやかな酒宴をしてきた。当たりまえだが、桜の名所は人出が多く、いい場所はすでに地元の花見客が占拠しているので、その中で邪魔にならない空間を見つける。これが大事。端っこでひっそりとしている処は避けて、占拠シートとシートのビミョーな空間を見つけ腰を下ろす。そして、ワイワイとした花見客の喋りをボンヤリと聴きながら、桜の下での花見というのが格別なのである。
それにしても最近思うのは、花見での酔っぱらいを見なくなったことだ。別に酔っぱらいを好きではないが、花見には酔っている人の姿が見え隠れした方が何故かその場に似合っているというか、俗っぽいところがよかったのである。それが、今は殆ど見ない。バーベキューをする!?花見客が変に目立つぐらいである。
呉の昭和30年代の4月3日は〝花の節句の日〟で、全市上げて花見をする祝日だった。まさにハレの日である。休山、灰ヶ峰、本庄・平原水源地、二河公園などにどっと花見客が詰めかけたのである。その数、十万人以上といわれ、この日の呉は日本一の花見シティだったのである。
その呉独自の花の節句、4月3日の祝日は、40年代には企業が休みにしなくなり、50年代には節句の風習は殆どなくなっていったー。
本誌が月刊になった創刊号(1987年4月)の特集が、〝街を10倍意識ー花見復権ー〟である。その中で、〝わたしの花見のころ〟と題して昔をよく知る七人に話を伺っている。
〝節句につきもののネーブルが飛ぶように売れました〟(東畑・遠藤豊)
〝腰に白酒を入れた瓢簞をぶらさげて山に行った〟(三条一丁目・田妻喜代人)
〝あちこちの百近い村落が集まり大勢で騒いでいました〟(苗代町・富永房子)
〝お弁当が持てただけで心がうきたちました〟(長迫町・吉田久芽子)
そして、昭和9年の二河公園の夜桜風景の傑作写真も掲載している。川原石にあった猪木写真館から提供されたものだ。これまで何回も本誌に登場した写真は、フラッシュで浮かび上がる桜の下に、猪木写真館の七人が七輪や重箱弁当を前にしての記念写真である。七人共節句のためにハレ着で装っている。
当時の二河公園の夜桜には法界屋や新内の流しも出て、粋な音曲が聞こえてきたりして、夜どおし賑やかだったそう。そんな雰囲気がこの写真から伝わってくるのである(詳しくは今号のP64に掲載)。
昭和9年は1934年、今からちょうど80年前だ。この当時の呉市は、呉工廠がフル回転、町には福屋百貨店が開店、そして呉線全線開通と〝大呉市〟と呼ばれるほどの活況を呈していた頃だ。また、新聞や文学誌、短歌誌が数多く発刊され、呉市発信の文化が県下に鳴り響いていたのである。
そして、国内の状況と言えば、満州国建国を発表して、日中戦争が現実味を帯びてきた頃だ。
ところで、太平洋戦争が起きる昭和16年から、それ以前の昭和初期を一まとめにして〝戦前〟と語られることが多い。それは日中戦争、太平洋戦争の前の時代は軍の統制で日常生活も暗く、我慢の生活が続いた、というものである。しかし、これは大まかすぎる歴史観で、呉市でいえば、市政百十二年の現在に至るまでの歴史でこの昭和9年前後の10年が、日本でも有数の活況のあった都市文化を築いた時期だったのである。正に〝大呉市〟だった。
昭和9年の二河公園の夜桜写真からも〝大呉市〟の裏の雰囲気が伺えるのである。

さて、今年は何回花見が出来るか、今から楽しみである。私の花見はもっぱら酒を飲みながらの〝俗人の桜〟だが、酒なしの〝仙人の桜〟も今年こそ楽しみたい、と切に思っている!?

2014年3月号

水曜日, 3 月 5th, 2014

○月○日
マンガ『ペコロスの母に会いに行く』を読んだのは一年前である。長崎の町の本屋で見つけて買った。作者は長崎在住で、地元のタウン誌に連載されたマンガやエッセイをまとめた本だった。
作者の母親が認知症になり、介護施設に預ける事になった。その母親の少しづつ病状が進んでいく姿をマンガエッセイとして描き続けたという。
「ボケることも悪いことばかりじゃない」という作者は、母への介護を深刻に考えないようにして、マンガの最後の一コマは絶対に笑わせることを基本にしていたという。認知症の母をネタにして、マンガに仕上げることは、実は作者自身も救われる作業をしていたのだと、本を読んで思ったのである。
このマンガ本は最初は自費出版で町の一軒の本屋だけで販売され、それが評判になり、全国出版に繋った。そして18万部のベストセラーになったのである。また昨年物語として映画化され、今年のキネマ旬報映画賞一位に輝いたというからすごい。
作者の岡野雄一さんは、東京から故郷長崎に戻り、タウン誌の編集者をしていた。プロフィールを読むと、私と岡野さんとは何かと共通することが多いのである。同じ年齢であり、東京から故郷に戻ったこと。仕事がタウン誌の編集。亡くなった父親が酒乱だったことなどだ。
私たちは共に同時代を生きてきたのだから、何かを表現する仕事についていれば、その時代の中での存在感を獲得することは、本当にむずかしいことだと身に沁みて分かっている。故郷に戻り、様々なしがらみの中で逃げ出せないのが、また故郷なのである。
私たちの世代は、岡野さんと同じように母親の介護をしている人が多い。私の友人も会社を早期退職して、母親を介護するために呉に単身で戻った。そして、介護中心の生活が続いている。その友人と会うたびに介護の話になるのだが、色々あって母親が何とか介護施設に入り、少し落ち着いたというー。
母親の人生の最終章が認知症になった、という受け止め方だと、深刻になり過ぎて何もかも重すぎ、笑ってなんていられない。
在宅で介護している真面目な人は、どんどん不安やうっぷんがたまり、吐き出すところがなく、いつかパンクしてしまう。
『ペコロスの母に会いに行く』の中に、
「さっき、父ちゃんが訪ねて来なったばい
なぁユウイチ
私がボケたけん父ちゃんが現れたとなら
ボケるとも悪かことばかりじゃなかかもしれん」
という母親のコトバがある。涙をさそうコトバだが、何かほっとするのである。
○月○日
テレビをつけたら、『愛・アムール』という映画が流れていた。老夫婦が暮らす格式のありそうなアパルトマンが舞台である。二人は音楽家の夫婦だ。夫役は『男と女』のジャン・ルイ・トランティニアンが演じている!?頭は禿げ、顔中しわだらけのトランティニアンが画面いっぱいに映し出されている。あのトランティニアンが〝爺い〟になっているではないか。
画面からは、フランスの知的階級!?らしい夫婦のやりとりが続くのだが、二人は第一線を退き、今は静かな暮らしをしていることが分かる。夫役のトランティニアンを見ていると、まるでドキュメンタリーを見ているかのようで、これはドラマなんだと自分に言い聞かせるほど、淡々とした二人の日常が映し出される。
物語は、妻の体の異変から動き出す。いつものように朝食を摂っているとき、妻が突然病に倒れる。そして手術を受けるが失敗に終わり、妻は車椅子生活になる。
「二度と病院に戻さないで」
という妻の切なる願いを受け入れ、自宅で共に暮らすことを決意する夫。このあたりになると、夫役のトランティニアンが実にいい齢の取り方をしている、やはり魅力のある男だなと感じて、画面に引き込まれていくのだ。
夫婦は誇りを失わず、これまで通りの暮らしを毅然として貫くのだが、時と共に思い通りにならない体に苦悩し、ときに「もう終わりにしたい」と漏らす妻。
そんなある日、夫にアルバムを持ってこさせ、過ぎた日々を愛おしむようにページをめくり、写真一枚一枚に見入る二人の姿に見る者は心を揺さぶられるのだ。
そして、妻に認知症の病状が出てきて悪いことが続く。看護師に加えて雇ったヘルパーに心ない仕打ちを受けた二人は、次第に世の中からも孤立していく。
ついに二人きりになった夫婦は、人生の終末感漂う部屋で、夫は動かない妻の顔の上に枕をかぶせるー。衝撃的な場面で映画は終わるのだが、何故か静かな余韻が見終わっても続いたのである。映画の中での二人が、
「素晴らしい」
「何が?」

「人生よ。かくも長い、長き人生ー」
という会話が耳に残るのである。
この映画は、後で知ったのだが、カンヌ映画祭最高賞、アカデミー外国語賞を受賞していた。こういうテーマの映画が作られ、世界中で喝采を浴びたことが、何とも嬉しい。
同じような介護が題材の、日本映画の『ペコロスの母に会いに行く』がキネマ旬報映画賞のベストワンになったことも、これまた嬉しきことなのである。