Archive for 12 月, 2014

2015年1月号

木曜日, 12 月 18th, 2014

○月○日
俳優の高倉健さんに続いて菅原文太さんが亡くなった。’70年代が青春だった世代の私にとってお二人は憧れの存在だった。
〝若いときの健さんに、あなた似てるね〟と言われたことがある。もちろん’70年代のときです(笑)。日活映画に出演したとき、撮影監督に言われた。確かアクションシーンの立ち回りを撮り終えたときだった。まぁ、そんなことはどうでもいいことでした(笑)。
お二人が亡くなる少し前、「東映実録路線『最後の真実』」という本を買ったばかりだった。この本には「仁義なき戦い」シリーズや「山口組三代目」シリーズなどに関わった脚本家や役者の対談、そして撮影の裏話が載っている。御存知のように「仁義なき戦い」は菅原文太、「山口組三代目」は高倉健が主役である。東映のヤクザ路線をこの二人が背負っていたのだ。高倉健は、「昭和残侠伝」などの任侠ものが終幕し、続いて「山口組三代目」の実録ものを演じた。しかし、その後東映を去る。
そうして、「網走番外地」シリーズで相性の良かった北海道が舞台の作品で、新しい健さんの映画が花開いていくのである。「幸福の黄色いハンカチ」「遥かなる山の呼び声」「駅 STATION」「居酒屋兆治」「鉄道員 ぽっぽや」である。
私は中でも「駅 STATION」が好きだ。倍賞千恵子。烏丸せつこ、室田日出夫、そして、八代亜紀の「舟歌」ー。今でも倍賞千恵子と健さんの居酒屋でのシーンがまぶたに蘇ると、心にジーンとくるものがある。
健さんの最後の映画「あなたへ」は九州の小倉で観た。小倉は健さんの故郷の近くのマチである。映画館は平日なのに満員に近かった。見ると年配の客ばかりだ。この中に健さんの同窓生もいるんだろうか、と勝手に想像して、これまたジーンと胸にきたことを覚えている。
菅原文太さんの晩年は、俳優というより、山梨で有機農業を実践しながら、今の社会状況に警鐘を鳴らす文化人的な発信をする存在だった。
文太さんは、’70年代「仁義なき戦い」の大ヒットで、東映実録路線の主役に躍り出る。この映画の舞台はご存知呉や広島である。実録ものだから、ヤクザの親分から下っ端まで何十人も物語に登場させなければならない。まさにヤクザの群像劇だった。俳優陣も実録の″名前〟に負けない演技をしないといけない。個性豊かに演じないと、まるで目立たないのである。まさに、「仁義なき演技の戦い」だったと、「最後の真実」の本の中に出ている。松方弘樹、梅宮辰夫、北大路欣也、田中邦衛、渡瀬恒彦、千葉真一、伊吹吾郎、小林旭、金子信雄ー錚々
たる男の役者達が演技を競ったのである。
広島弁の飛び交う映画のスクリーンを東京で観ていた私は、映画全編に漂う〝時代〟を巻き込む勢いに打ちのめされた。こんな映画の「現場」にいたいと痛切に思ったものである。出演した役者達は、この映画シリーズでの演技の戦いを乗り越え、その後の役者人生を開花させていったのである。
この群像劇の中での文太さんは光ってはいるが、演じる主人公が実在の人物だっただけに、様々な葛藤があったようである。文太さん自身もそうだが、実在の主人公にとっても脚本の中の主役の扱いに不満があったといわれる。そこで、自分で脚本を書いて東映に持ち込んだというエピソードも残っている。
当時の中通のサン劇でヤクザ映画を観た時のことだ。映画が終わり、席を立って出口に向かう客の後ろ姿を見ると、客のすべてが素人ではない!?と思われるほど、スクリーンの中の役者の振る舞いが客に乗り移っていた!?
肩を張り、腕を振って歩く姿が健さん、文太さん風なのである。もちろん私の後ろ姿も、前を歩く人と同様にキマッテいたに違いないー。
健さん、文太さん、ありがとう。合掌。

○月○日
師走の選挙にはまいった。選挙で人出のない町の飲食店もまいっていた。選挙の投票率は戦後最低でまいった。アベさんの戦略どおり、自公両党で3分の2以上の選挙結果に、まいりました。
新年の特集は、「人口減」、とくに「現役世代の人口の減少」が問題なのだということを、呉の「現場」で考えてみた。
アベノミクスの″景気が良くなれば、皆ハッピーになる〟というのは間違いだ、という視点を持つべきです。
年が明けたら、このどんよりとした社会の悪い気をはらうために、身近にある神社に早速まいりたいと思ってます。