Archive for 4 月, 2015

2015年5月号

金曜日, 4 月 24th, 2015

○月○日
4月の呉はなにかと行事が多い。始まりは花見である。呉は〝桜の園〟といわれるぐらい、町のいたるところで桜が見られる。町の中心地に立つと灰ヶ峰や休山 の緑の山容に白くボカシが入ったような山桜が遠く霞んで見える。〝ああ、春だ春だ、花見をしなければならない!?〟と急かされる風景が広がるのである。
しかし、今年の花見はつくづく不調だった。桜が見頃になった何日間は雨や寒気の天候で、あいにくの花見に終わった人が多いのではないだろうか。
今から70年前の昭和20年、満開の桜に見送られ出撃した戦艦大和は4月7日東シナ海でアメリカ軍機の波状攻撃を受けて沈没、3056人が亡くなった。
その戦艦大和を伝える海事歴史科学館、通称大和ミュージアムはこの4月末で10周年を迎える。今号で特集を組んでいるが、7月頃には入館者数が1000万人を超えるといわれる。
この数字は、大和ミュージアムが大成功しているという証である。毎年100万人もの入館者を数える博物館は日本でも稀少で、指折りの存在となっている。
それにしても10年で1000万人の入館者数というのは驚異的で、この数字を誰が予想しただろう。誰も予想だにしなかった数字である。
そもそも呉市の幹部ですら、開館3年ぐらいは、年間入館者が20万人も入ってくれれば〝御の字〟と言っていたのである。どうして大和ミュージアムがこのように人を集めたのか、この際きっちりと検証して貰いたいものだ。
また、この特集の副題に〝大和ミュージアムは呉の応接室になっていた!?〟とつけたのは、行政も呉市民も成功している大和ミュージアムをもっとうまく使って欲しいからである。
1000万人の入館者の中には、様々な分野の著名人が数多く訪れている。公的な訪問者だけでも名前を並べてみると、まさに多士済々なのである。そこで思ったのだが、大和ミュージアムの訪問者を〝呉への訪問者〟にしたい、ということだ。
多士済々の人々とのせっかくのつながりを生かしたい。呉に対してのコトバを引き出したいのである。
今年になり、マスコミで〝戦後70年〟論議が盛んに取り上げられている。戦後から10年が経つたびの恒例の戦後論である。その中で、来年の社会科教科書の戦争歴史の改訂が論議を呼んでいる。
私も学校で習った戦争の歴史の中で、戦艦大和はどのような思想のもとに造られ、そして、なぜあのような最期を迎えなければならなかったのか、教えられてい ないのである。呉で造られた戦艦大和は、世界一の技術で世界一の戦艦を造った。しかし、大和は戦艦としての実績を上げないまま沈没したと教えられただけ だ。戦後、戦艦大和は世紀の〝無用の長物〟と呼ばれ、大和を造った呉も、戦犯都市のような扱いでお隣の広島のマスコミから決めつけられていたものである。
だから大和を造ったドックを見ながら育った私としてはずうっと〝大和〟のことが腑に落ちなかったのである。それが、10年前に大和ミュージアムが開館し て、戸髙館長や半藤名誉館長の〝大和〟や海軍に関する言葉に接するたびに〝目からウロコ〟。ストンと私の腑に落ちたのである。
呉は海軍さんと共に大きな都市になり、日本の戦争の基地であり続けた。日本の戦争の歴史はまさに呉と重なり、郷土史の歴史でもあるのである。
確か大和ミュージアムが開館した年だったと思うが、広島出身の新藤兼人監督の映画「陸に上がった軍艦」の撮影がアレイからすこじまであった。そのときの監 督へのマスコミインタビューで、女性記者が〝新藤さんは海兵隊に入隊されて、呉基地に配属されたそうですが、呉は今だに海上自衛隊の基地、軍港の町として あり続けていますが、どのような感慨をお持ちですか?〟という問いに〝呉は昔も今も歴史を感じる絵になる町です。戦争で広島も呉も焦土と化したのは同じな んですよ。最近ヒロシマのマスコミに思うのですが、〝平和〟の背負い方が狭量です。〝右〟も〝左〟もないところの見方が貧弱です。あなたは、海上自衛隊基 地がある呉を〝右的〟に捉えたいのでしょうが、しかしそれでは何も見えてきませんよ〟とピシャリと言われた新藤さんの言葉が忘れられない。
4月末の呉は、10周年の大和ミュージアム、そして58回目だという呉みなと祭の行事があります。

2015年4月号

金曜日, 4 月 24th, 2015

○月○日
今から80年前の3月27日、呉市二河公園、川原石埋立地で「国防と産業大博覧会」という大博覧会が開催された。昭和10年(1953年)のことである。呉市113年の歴史の中で対外的にも市民に対してもこれほどの大イベントはなかったのである。
いつか本誌で取り上げなければと思っていたのだが、開催時から今年がちょうど80年であり、それも春、この機を逃してなるものかというわけで、今号の特集を組んだのだ。
この博覧会の何がすごかったのかというと、それは多種多様な展示館や玄人、素人が登場する余興場がそうなのだが、残されているたくさんの資料を並べてみると、やはりこの博覧会の為に発行した呉市の案内本がすごかったのである。呉市企画の「大呉市案内」、呉市郷土史研究会の「新版・呉軍港案内」、中国日報社の「呉花街案内」である。
街の広報、これぞ〝おもてなしの案内〟である。全国から公募したポスターやハガキのデザインも目を見張るものがある。
現代に置きかえても、これ程の広報、宣伝のデザイン力には脱帽、〝アッパレ〟と言うしかない。
中でも「呉花街案内」がすごいのである。
〝その都市の花柳界は観光方面からも、商工業の見地からも、その都市の発展に至大の関係をもつものであって、「色街」としてしかし簡単に片付くべきものではあるまい。
何んとかの昔より女ならでは夜の明けぬ国だといわれる程、女というのは尊い必要な存在である。「春宵一刻価千金」といわれる桜咲く弥生のこの季節、博覧会を目ざして全国から集り来る者無慮百万と註せられる。それらの人々の多くは昼間の視察や見学を終えた後、杖を花街に曳く客の多いのは必然の経路である。その善良な探検家のために「花街案内」一部を贈呈することは如何に有意義にして、もののあわれを知る人の床しい贈り物であることか。協賛会が右発刊を後援し、その一部を譲り受け、会として広く外来者に進呈せんとする所以である。〟
と〝はしがき〟を書いたのが「国防と産業大博覧会協賛会」の事務総長 稲葉隆直氏である。なんと大人の物言いであることか!?
当時の日本人は、日中戦争の非常時の中でも、酸いも甘いも噛み分ける大人の覚悟があったのだろうー。
この呉花街案内の主役は、呉券番の名花、呉カフェーの名花、朝日楽園の名花、音戸、広村、吉浦花街の名花である。一人一人の写真と共に、出身地、趣味などがカタログのように、50頁に渡り紹介されている。これがすごい。また、読みものとして呉市の歴史、呉花街今昔物語りなど、市の広報と違ってやわらかい調子で書かれている。広告も多く、その中のカフェー・ラパンの店で女性に囲まれた作家・菊池寛の姿も圧巻!?である。
日本の、昭和7年から12年という時期は、非常時がさけばれながら、一方でははなやかな消費生活に色どられた大衆文化が花開いた時でもあったのである。
当時は新聞社乱立時代で、現在のような1県1紙制ではなかったので、新聞も競うような見出しが紙面に躍っていた。政治面は日中戦争をあおることく。そして社会面では、〝情死事件〟が読者を引きつけるかっこうの記事だった。
情死ではないが、芥川龍之介は、昭和が始まると同じくして〝ただぼんやりとした不安〟を訴えて生を閉じた。その後の昭和の時代、「時代病」といわれた情死・心中事件が多発するのだ。
全国的に不景気の影をいくらか引きずりながら、新しい時代の展望が開けていない時代だ。明治・大正時代は、現実的な生活苦のための一家心中や自死が多かったが、昭和初期には、観念的な愛や死へ憧憬からの情死が多く、昭和11年には全国で117件、ピークを迎える。中には有名人の情死事件も多く、マスコミが沸騰したものである。その後、12年に日中戦争の火ぶたが切られ、戦争前夜の情死狂騒はあっという間に鎮まった。
そんな中、軍都 呉の繁栄は全国に知られていたが、ただの軍都の町としてひと括りにされない程、夜の呉花街の勇名は鳴り響いていた。
何年か前、四国の宇和島の図書館で読んだ日記本の中に、呉の博覧会に行った文章を見つけた。市会議員だった著者たちの視察の様子が、面白く書かれていた。もちろん夜の行状もである。
画家の藤田嗣治も当時の呉を訪れ、本通り夜景、二河峡、鯛の宮神社の絵を残している。中でも特集にも掲載している本通り夜景は、当時の呉の宵の口、静かそうだが、濃密な奥深い雰囲気を想像させる絵の風景である。ちなみに藤田画伯はもう一枚描いている。カフェー・ラパンで描いた猫の絵である。戦後、ラパンのマッチの絵として残っていた。
今年は戦後70年。安倍首相の〝戦後70年談話〟がどうなるか、いま話題である。今号の特集は終戦の10年前、昭和10年、今からちょうど80年前のことである。
〝戦前〟という言葉のあいまいな括りかたが、日本人の歴史認識のチガイを生み出す元なのかもしれない。
歴史には区切りはなく、連綿として続いているのである。
〝戦後〟の前は〝戦中〟、〝戦前〟、その前はー!?
そして今は、〝戦間期〟というのだそうだ。

2015年3月号

金曜日, 4 月 24th, 2015

○月○日
大リーグから広島カープに復帰する黒田博樹投手の〝フィーバー〟が続いている。私たちカープファンにとっても、また球団にとっても、これほどの幸運のめぐり合わせはかつてあっただろうか、と皆口を揃えるのである。
幸運の始まりは、クライマックスシリーズを戦った野村監督が何故か!?辞めたこと。続いて、マエケンこと前田投手の大リーグ行きが一年延期になったこと。 そして、ヤンキースで活躍している黒田投手が、大リーグの高年俸を蹴って〝野球生活の最後はまた広島で〟と、カープに復帰することになったことだ。
お金が目安のプロ野球グローバルスタンダードを黒田投手が崩したことに、皆拍手喝采しているのである。
町では、〝カープ優勝、優勝—〟のコトバが飛びかい、どんどん掛け声のトーンが高くなってきている。シーズン開幕時には声が枯れて、応援にも支障をきたす のでないか(笑)と心配するほどだ。地元マスコミのカープ報道はキャンプインから日を増すごとに〝この選手がいい、あの選手もよくなってる〟という〝いい 情報〟のオンパレードである。
毎年、シーズン前のセリーグ順位予想で地元マスコミはこぞって〝今年こそ優勝を狙える〟とファンを煽り続けてきた。そんなマスコミのツッコミに対して、 ファンは〝そう、優勝だ今年こそ―〟と一応は受けてはいるが、実はクロウトファンはいたって冷静なのである。マスコミのその手に乗って、精神的苦痛をいつ も被ってきたファンの自己防衛術は新境地に達しているのだ(笑)。
何かにつけて、カープはビンボー球団だから—と、高年俸の選手になると他球団へどうぞ、と送り出す球団にも、ファンはずっと異議を唱えてきた。また、代々 の監督の采配にも首をかしげることが多かった。目先の勝利にこだわり過ぎて、選手を日替わりのように変えたり、調子のいいピッチャーを投げさせ過ぎて身体 を壊してしまい、選手生命を危うくさせる監督ばかりだった。
そんな環境の中でも、昨シーズン頭角を現わす若手選手が出て来たことが、実は一番の幸運ではないかと思うのだ。それは攻守走が揃った菊池、丸がチームの中心に坐ったことである。
そこで緒方新監督の采配に注目が集まるのである。何年、いや何十年か振りに、優勝を争えるチーム力になり、どうシーズンを戦うか、興味津々なのである。
そこで、野球の定石を積み重ねるだけ、勝てばいいという戦い方はやめて欲しいのだ。勝っても負けても、熱い、いい試合だと言わせる采配を見せて頂きたい。 だからこそ、今から優勝、優勝と騒ぎ過ぎると、監督は目先の勝利に走り自滅することになるかもしれないのである。クロウトファンは、そのへんのところは、 よーく分かっているはずである。
皆さん、〝優勝〟と声に出す〝とき〟を誤らないようにいたしませう。
○月○日
町の商店街から本屋さんが消えている。今から20年くらい前の呉の中央商店街には、本通に宇都宮書店、にしき堂、田島書店、桃太郎書店、中通に加藤書店、中国堂、文正堂、九嶺書房が2店あった。しかし、今は中国堂と未来屋書店のみである。
本屋は元々町に密着した文化装置だったが、今や地域の本屋は大型書店に蹂躙されて、商店街から一店一店姿を消していった―。
月刊『新潮45』2月号で、「出版文化」こそ国の根幹である、という特集を組んでいる。
わずか十数年で本や雑誌の売上はほぼ半減、街の書店も次々と廃業を余儀なくされている。人口減やネット・スマホの普及という構造変化に加え、アマゾン、 ブックオフ、図書館の過剰サービスが、出版の「生態系」を破壊し、持続可能な「創造サイクル」を断ち切りつつあるからだ。このままでは、日本のこの多様に 満ちた出版文化はいずれ消えてしまうのだろう。
〝本が我々に与えてくれる効用とは何か。改めて考えてみれば、ことは出版界だけの問題ではないのは明らかです。〟(藤原正彦)
〝ブックオフや図書館で本を取る人は、本は降ってくると思っている。だが本は「つくる人」がいて生まれるのだ。〟(林真理子)
〝アマゾンは書店のみならず出版界そのものを牛耳ろうとしている。今こそ業界を挙げ立ち向かうべきだ。〟(紀伊国屋書店社長)
〝図書館の貸出冊数が販売冊数を上回り、出版社は絶滅の危機にある。それはつまり「本」の絶滅に他ならない。〟(新潮社常務)
『新潮45』の特集の中の意見は、まさにごもっとも、そのとおりである。
しかし、一つの視点が抜けていると思うのである。地方のことである。中央が作り上げた「出版」「取次ぎ」のシステムに従うしかなかった地方の現実である。
中でも、地方文化を支えようとしてきた地方の弱小出版社の本は中央の書店には置いて貰えない、私たちは商売の入り口にも立てないというのが現実だった。私 も東京の大手取次会社に出版本を持っていくたびに屈辱感をたっぷり味わされ続けた。トホホの気分である。地方出版本は中央では売れないのよ、田舎者め引っ 込んでおれ、といわれているようだった。くやしかったが、そのとおりだったのである。
今、日本全国がアベノミクス病にかかっている中で、〝地方創生〟と喧しい。しかし、実際のところ中央の発想で、そしてトップダウンで地方に新しい波を起こ そうとしても、それは無理なのである。人口減少、雇用創出、商店街のシャッター通り問題など、もう耳にタコが出来るくらい、すでに十何年以上も前から議論 が続いていることである。
中央から地方を見る上から目線の発想が変わらない限り、地方創生はありえない。
この4月にある統一地方選への政府のリップサービスが〝地方創生〟というコトバである。政治家のコトバがどんどん上滑りしてカルクなったのは、さていつ頃からのことか、戦後の短い歴史を振り返ってみている。

2015年2月号

金曜日, 4 月 24th, 2015

○月○日
正月恒例の〝箱根駅伝〟をテレビで見ながら、というより聞きながら過ごした。
そして、これまた私にとって恒例のテレビ番組批判というか、テレビに向かって〝何でそんな番組作るんだ!?時間とお金の無駄じゃ〟と叫ぶことー。
〝ワッハッ、ワッハッハ〟の、出演者の身内受けの笑いの洪水ー。
〝これうまーい。ほんとうまーい〟連発の食べ物番組。
外国の人がわが国のテレビを見ると、こんなノーテンキな国は世界中にない、と思うことだろう。
そんなことを言うなら、テレビを見なければいい、と言われそうだが、これが中々出来ないのである。

テレビのニュースで、年末に呉市で起きた〝看護師殺人事件〟の報道が正月早々から続いている。昨年起きた〝灰ヶ峰死体遺棄事件〟に続いて全国区報道になってしまった。
何とも言いようがないが、男女の愛憎のもつれやストーカー的なこと、そして家族関係の殺人事件が毎週のように全国で起きている。テレビのコメンテーター が、〝この殺人事件は今の社会の歪みが鏡のように表われた不幸な事件ですね〟とか決まり切ったコメントを聞くにつけ、物事の落としどころは一様であって欲 しいというマスコミの貌が見え隠れしている。

2020年に東京オリンピック開催が決まり、東京都が拠点のマスコミは一様にオリンピック景気をあおり続けるだろう。アベノミクスに追い風の東京オ リンピック開催で、今もマスコミは一様に景気がいい、の大合唱である。そんな東京を見ながら、地方都市呉に住む私の実感として、景気がいいとはとても思え ないのである。
円安、株高だから好景気というが、これも金融関係や大企業の為替利益が数字になっているだけのことで、〝実質〟が伴った景気には到っていないという見方も多いのだ。
またもう一つ、東京が大騒ぎになっているのが都知事選である。元総理の細川さんがこれまた元総理の小泉さんと組んで都知事に立候補したからである。東京オ リンピックのための都知事選にならないで、〝脱原発〟が争点の都知事選になる。これこそ一様から多様の争点に変わる選挙!?久々に選挙民の意識改革に繋る おもしろい選挙になりそうだ。
元総理二人が言うことは重要であり、多様な意見である。東日本大震災と福島原発事故にアベノミクスは正面を向いていない、とお二人は言っている。東京オリ ンピックと大震災、原発事故を同じ次元の俎板の上に乗せている。何でもかんでも景気くというばかりで、経済成長がすべての問題を解決するというのだ。これ に異論、反論する元総理たちー。私は多様な意見の場があることこそ、そこを信じたいのである。

呉の成人式は今年も各自治体で行なわれる分散式である。もう何年になるだろう。毎年、一部のやんちゃな若者が酒を飲んで起こす騒ぎから警察沙汰になったことで、行政が嫌気を出して、分散式に移行したのである。
しかし、この分散式と今までの集合式のことは、もう一度考え直した方がいい。
何故かと言うと、呉地域に育った同じ年の者が一堂に集まることは、成人式以外にはない。生涯一度きりの集まりなのである。〝同じ年の人間が、呉にはこんな におるんじゃ〟という共同体の中での連帯感を持つことだけでも集まる価値があると思うのだ。自分の育った町を公的に意識して貰うチャンスが成人式なのであ る。

地方の人口減を少しでも緩やかにするために、行政も経済界も市民も若者の自立、親離れを促すことである。若者の安い給料でも、家庭が作れる環境をど れだけ地方都市で作れるかということだ。また結婚に失敗して、一人で子育てをする女性を応援することこそ、地域は大事にするべきなのである。
今年の新成人は生まれてこのかた、日本経済が停滞し続けているために、景気がいいことを味わったことがない、そのために、現実主義者が多いという。また、小学校時のゆとり教育が効いて、競うことを嫌うという。
しかし、この一様な世代論も、マスコミが作りあげる、社会が安心しそうな落としどころなのである。
そんな中、私たち大人の多様な生き様を若者に見せる環境を、どう地域で作り上げるか、それを成人式につなげていきたいものである。