Archive for 11 月 18th, 2015

2015年12月号

水曜日, 11 月 18th, 2015

○月○日
忘年会の季節である。
夕暮れの呉の町に多くの人出が見えると、いつの頃からか安心するような、ほっとする気持ちがわいてくる。
かれこれ30年以上、呉の中心街を見続けていると、ふと目の前の風景の中の人影の薄さに気づかされる。年々少なく感じる人出は、地方の多くの町の宿命といわれるが、町に暮らすに身にとっては寂しい思いがするのである。
それでも、忘年会の季節の12月と年度末の3月、週末ごとに多くの人出が中心街を包み込む。その賑わいを見るのは楽しいことだ。
当たり前のことだが、タウン誌の経営は町の経済がうまく回っていかなければ成り立たない。ということは、町に人出を作り出すことがタウン誌の役割なのだが、これが中々たやすいことではなくなってきている。
理由は、インターネットの普及でメディアが多様化して、日本の社会が情報過多に陥ってしまったからである。
例えば、ネットに出ている呉地域のグルメ情報を見てその店に行く。行く人の多くは、情報にあったメニューを画一的に注文する。いいとこ取りだけしたいのである。結果、その店の表面をなでただけの店訪問に終わってしまう。そして、皆一様に携帯電話で撮った画像が、自分のツイッターやブログに同じように出現する。また、彼らの流した情報がその店の採点としてカウントされる。それがまた多数の口コミ情報となりネットに定着することになる。
先日、国内最大のグルメサイト「食べログ」で、ランキングの不正操作があったことが明らかになった。それは、特定の飲食店に対して好意的な口コミを投稿して報酬を得る人達がいたというのだ。
これに対して〝消費者の信頼を裏切る行為だ〟と批判が上がったが、こうした問題はインターネットの構造上、常に起こりうるはずなのである。
しかし、その前に口コミサイトの評価をする人のことである。
〝料理について細かい論評を述べたい人達〟と〝携帯で料理の写真を撮ることをためらわない人達〟が下した判断にすぎない、ということを私達は承知していないといけない。
そこでタウン誌の出番!?といきたいところだが、残念ながらタウン誌はスポンサー頼りの経営であるからして、キレイごとでは済まされない事態があるのである。そんな中で、これだけは間違いないという店情報が、店主の存在、魅力を伝えることである。その店主の貌、声、話す言葉、動作、そして作り出すものに接することで、上辺だけではない本物を知るのである。店の魅力はすなわち店主に尽きること、これだけは間違いない。

今、都会ではスナックが元気だそうである。個人が経営する〝小さなスナック〟である。〝スナック〟という語感は私の20代、青春時代をもろに表しているのだが、今だに東京はスナック全盛だという。〝小さなスナック〟という唄もあったなぁ—。東京は青春時代がまだ続いているのか!?
‘70年代の東京、私もその現場にいた。それはそれはどこの社会も活気に満ち溢れていた。政治、経済、文化、あらゆる分野で体制派と反体制派が拮抗して主流を競い合った時代だ。地方出身者の若者が一人前になるための日々の戦いの中で、安らぎの場がスナックだった。
今でも思い出すのは、新宿ゴールデン街、渋谷道玄坂上のスナックだ。ボトルを入れていたので、安く飲めたのだ。食べ物メニューも多かったから居酒屋遣いもしていたのだろう。お金が許せば毎日でも通いたいぐらいだった。
それ等の店は、いつもカウンターには客がいて、店主と常連が店を仕切っていた。貧乏若者の私としては、パッとした金遣いをしたいのだが、出来ないのが現実だった。それでもスナックの常連扱いの客になれたのは、何だったんだろう。カタギの仕事ではない劇団という世界に身を置く、夢みる若者に愛の手を差しのべてくれたのかもしれない。
好きな食事は出来なかったが、行きつけのスナックに行けば酒にありつけた。そして、本当によく奢ってもらった。青春時代はまさに奢られ人生だった。そんなスナックで同じときを過ごした人達のことを、いま思い出すのである。

そこで、呉のスナックのことだ。呉でいう〝スタンド〟とスナックはどう違うの?とよく言われるが、全国的には呉のスタンドもスナックの中に入る。スタンドはスナックよりカウンターの中の女性の色気度が少々高い。故にセット料金がそれに比例して高い設定になる。毎日でも通いたいという客は、やはりスナックを目指す。食べ物メニューが充実して、チャージ代も安い。カラオケも唄えるオープンな雰囲気のスナックである。店主は女性でも男性でもいい、ただ演出家の店主であって欲しいのである。そんなスナックが呉の町に増えてきている、とスナックびいきな常連は口を揃える。
今号は恒例の忘年会特集を組んだ。忘年会は年に数少ないハレの会だ。日頃の鬱さ、たとえば〝わしはビールが飲みたい、発泡酒ではないビール、生ビールが飲みたいのだ〟という鬱さを晴らすのが忘年会である(笑)。そして、忘年会の2次会にはスナック(スタンド)に行きましょう。行きつけの店がない人は、そういう店を見つけましょう。
忘年会をやる。そのあなたの町づかいが呉の経済、文化を回すのです。
よろしく―。

2015年11月号

水曜日, 11 月 18th, 2015

◯月◯日

広島カープが最終戦で惨敗、クライマックスシリーズの出場はならなかった。この日の広島地区のテレビ視聴率は44・5%、プロ野球中継では過去最高を記録したという。
超満員のマツダスタジアムに駆けつけたファンの落胆たるや、察するに余りある試合だった。今年のカープを象徴する戦いだったからである。先発投手は5分以上投げるのだが、打撃陣が点を取れない。僅差のゲームになると、救援投手がコケてしまう。だから、いつまで経っても勝率が5割に届かない。ペナントレースで一度も首位に立てなかったのはカープだけだった。
今年のマツダスタジアムの入場者数は過去最高の211万人を数えた。一試合平均の入場者は2万人をゆうに越えていたのである。球場の客席を3万人にしておけばよかったと、今地団駄踏んでいるのは当の球団だろう。
それにしても今年のマツダスタジアムのチケットは取りにくかった。だから、今年は一度も球場へは行けていない。それでも、今日のカープはどうなっとるんかいのー、とテレビをつけるが中継をしていない。あれだけ〝カープ優勝〟と騒いでいた地元テレビ局が放送しない。いい視聴率が取れるのにどの局もやらないのである。
どうも、みなチグハグなのである。
そのチグハグの最たることが、緒方監督の采配だ、と酒飲み仲間とのカープ話で盛り下がる!?いや盛り上がったのだ。前日の試合で活躍した選手を使わない。データを重視して、登板投手との相性が悪いからだという。調子に乗りかけているのに出るハナを摘んでいる。野村前監督の失敗を継いでいるのだ。スコアボードの名前を見てもワクワク感が湧かないのである。
〝ほらのー、言わんこっちゃない、マツヤマを出しとけゃあええんよ〟
〝何で左投手には決まって右打者なんかのお。いつもワンパターンばっかしじゃ〟
と、頭のカタイ采配を振う監督やコーチを嘆くのである。
それに比べて、今年のヤクルトはどうだ!?という話になる。昨年の最下位から優勝という離れ技をやってのけた監督とコーチの態度は、敵ながらアッパレで、何か伸び伸びとして自由さを感じたのである。大主砲のバレンティンを欠きながら、すさまじい打撃陣を育てたチーム力には頭が下がるのである。また、トリプルスリーを達成した山田選手は、久々に球場で間近に見てみたいと思わせる選手である。一人の選手で客が呼べること、これは彼が日本プロ野球の宝になったということである。
そう、カープにもその宝がいることを忘れてはならない。黒田投手である。今年の観客動員の凄さは、黒田効果そのものだった。黒田が投げる試合は必死で勝ちにいかないといけないのに、打てない。落胆のため息が出る試合が多かった。
テレビに映るカープベンチの首脳陣の姿も、何かエラソーな感じがしたものである。そう、あのサングラスズラリの絵がそう感じさせるのだ。試合が劣勢なのに、なに気どっとるんな、という感じである。野村前監督のしょぼしょぼと飲料水を取る姿に、何か細かそうで、〝器〟がなさそーに見えたことを思い出した。そのことを酒仲間と話していたら、その〝しょぼしょぼ飲み〟は、実は噛みタバコのツバを出している風景だったことを教えられた。テレビは、監督の一挙一動がファンの視線にさらされていることを自覚すべきである。いや、その前にチームのナインの目が監督たちを見据えている筈なのである。
今年のカープは優勝だ、と騒ぎ立てた地元マスコミの方々、どうか反省して頂きたい。どこまで盛り上げたら気が済むんだというマスコミの仕掛けには、ちょっと異常なのめり方に見えたものである。
どうして優勝できなかったのか、クライマックスシリーズにも出れなかったのか、マスコミ各社は反省して、検証しなければ、また同じ轍を踏むことになるのである。
セリーグ順位4位という結果の責任は?と聞かれた緒方監督は、来年度の采配の糧にしますと答えた。責任を取ることには答えていないのだ。
今年のカープの話をすればする程、カープのリーダーと日本の政治家のコトバが重なって聞こえてくるのである。コトバで本論をはぐらかす。責任をあいまいにする。これを糧にこれからはガンバル。
要するに責任をとる覚悟がないのである。
カープ人気はいつまでも続くわけではないことを球団もマスコミもよく分かっている筈である。
私たちが考えないといけないのは、先を読むこと、目先ではつまらない。

2015年10月号

水曜日, 11 月 18th, 2015

◯月◯日

大和ミュージアム開館10周年シンポジウム「終戦70年を語り継ぐ」に行ってきた。パネリストに半藤一利さん、進行役に池上彰さんという、今をときめく論客が呉に集まったからである。
大和ミュージアムは、開館して10年目で入場者数が1千万人を越えた。その成功要因は何だったんだろう!?
10分の1戦艦「大和」が圧倒的な存在としてミュージアムの中心に据えられ、周りを呉の海事歴史やもの創りの展示をしていること。そして日本の近代史を呉を通して表現していることが分かりやすいといわれる。
しかし、ミュージアムの確たるバックボーンを強く表に出さないところがあった。そのところが、今回のシンポジウムでハッキリと聞こえて来たのである。
そのすべては、館長の戸髙さんのミュージアムデザインにあったのである。戸髙さんは、長い時間をかけて証言録「海軍反省会」を何巻も編集し、出版を続けている。現在も戦争をしたリーダー達の建前と本音の言葉を紡いでいる。
また、半藤さんはいま話題の映画「日本のいちばん長い日」の原作者で、昭和史研究の第一人者である。このお二人に通底するのは〝戦争の歴史の中の日本人論〟を伝えたいということだ。戦争を進めたリーダー達の資質を示すことで、日本は戦争をすると必ず間違いをおかすと言われるのである。
戸髙さんはシンポジウムの中で、〝大和が最後の特攻に出撃した理由とは、海軍のリーダー達は特攻に意味がないのは明らかだったが、海軍として最後の力を振り絞ったというカタチというか面子が必要だったから〟と言われた。
長い時間と巨額の予算、そして日本の最高の技術で造り上げた大鑑「大和」は沖縄への特攻のために出撃して、予想通り3千名の生命とともに爆沈した。
〝戦争はかくもはかなくむなしい歴史〟だということが大和ミュージアムのバックボーンなのである。
そして戦後70年のいま、当時を知る人が減り、戦争が体験として語られる時代から歴史として語られる時代になった。ミュージアムの役割は、今からより重要になると戸髙さんは言われる。
今まで、広島の原爆資料館は〝サヨク〟、呉の大和ミュージアムは〝ウヨク〟とマスコミは決めつけてきたようだが、大和ミュージアムの入場者数の成功が、政治的な〝右・左〟を取り払い、ありのままの歴史、真ん中のミュージアムとして、すでに受け入れられているのだ。
ヒロシマと呉のミュージアムは、同じ戦争がテーマのミュージアムなのに、ヒロシマは今だ呉に背を向けたままである。今回のシンポジウム「終戦70年を語り継ぐ」をヒロシマに聞かせたかった——。
○月○日
呉市の新庁舎建設工事は着々と進み、立派な外観が見えてきている。中央公園側から見ると、現庁舎と新庁舎の差が歴然としていることが分かる。何しろ立派なのである。建築予算はどんどん増額してついに160億円を超えた。
2年前に新庁舎建設工事入札が2度不成立になり、建設をどうして急ぐんだ!?という市民の多くの意見があった。しかし、市議会と行政は、決めたことだから粛々と進めるだけ、と意に介しない。
総事業費160億円は中国地方で建て替えを計画する自治体で最高額といわれ、どうなっとるんかいのー、と思っていたら、東京オリンピックの新国立競技場は2千億円から3千億円位の事業費がかかると分かり問題になった。それで、スッタモンダがあって、1500億円に落ち着いた。それらの数字を見ていると、100億円、200億円の上下は大したことがないように映ってしまう。振り返って、呉の新庁舎の金額が巨額だと思わなくなるから、不思議である。
日本という国は借金で首が回らない筈なのに、いまだにハコモノをどんどん日本中で造り続けようている。
地方に住む私たちは、日本とは東京のことだ、といつもマスコミから上意下達され続けていることを自覚するべきである。
東京がおかしくなると、一番にそのとばっちりを受けるのは地方なのである。
呉市の新庁舎と現庁舎が並んでいる風景は今だけである。是非御観覧あれ——。