Archive for 1 月, 2016

2016年2月号

水曜日, 1 月 20th, 2016

○月○日
旧暦では2月から新年賀始まる。今年はサル年だから、そのサルに関した多くの報道が新年早々続いている。その中で、宮崎県串間市の幸島で魚を食べるサルの記事が目に飛び込んできた。知る人ぞ知る、日本の霊長類学発祥の地〝幸島のサル〟のことだ。私は10年前、この幸島のサルに会いに行ったことがある。その時書いた私の文章である。

静かである。樹々の葉が風で揺れる、遠浅の砂浜に薄い波が打ち寄せる音。その砂浜をサルが駆けていく音。ときおり、時間を切りさくようにサルのキッキッという声が小さな湾に響きわたる。ここは宮崎県の幸島、本土から300m離れた小さな無人島である。その島に奥深い砂浜を持つ大泊湾にいる。私の目の前でサルたちが毛づくろい、グルーミングをしている。私から少し離れたところで、三戸サツヱさんがサルに囲まれるように座り、陽なたぼっこをしている。幸島の大泊湾は、何か時間の流れが止まったような不思議な感覚に包まれていた。野生のサルたちが自然のままで私と同じ風景の中にいる。この感覚をどう表現していいのだろう。船から降りて、島の土を踏み、すぐサルたちの姿がどんどん増えてくるのを目の当たりにした。私は〝百番目のサル〟の舞台になった砂浜にいることを、ただただ感激した。と同時に、私のサルたちへの意識過剰を見抜かれないようにと、少し構えた自分があった。しかし、そんな私の杞憂など吹きとばす風景画目の前に繰り広げられていたのである。三戸さんが撮影しやすいように、サルに豆をまいてくれた。その豆を拾い中の実を器用に食べるサルたち。海の中にもどんどん入って豆を拾って食べる。私はそんなサルたちをカメラで追う。そしてシャッターを切る。幸島のサルたちは、私が今まで見たことのない貌をしていた。おっとりとしておだやかな表情なのだ。ニホンザルってこんな愛らしい貌してるんだ、と思いながらファインダーをのぞいた。幸島に京都大学の霊長類研究グループがやってきたのは1948年。〝日本学士院エジンバラ公爵賞〟を受賞した河合雅雄さんもその一人だった。それから3年の歳月が流れ、世界で初めてサルの餌付けに成功する。研究者達は、幸島のサル一匹一匹に名前をつけた。サルの群れのボスにはカミナリと名付けた。カミナリは群れの中で、喧嘩が起きると、陽なたぼっこをしていても、飛んでいって的確に悪い方を叱りつけて仲裁する。ぼんやりとしているように見える時でも、いつも群れ全体に気を配っている。威張るだけではない、群れを守る責任感、統率力、正しい判断力を持ち、群れの仲間から深い信頼を受けるボスがカミナリだった。そのカミナリを中心に群れを作っている幸島のサルにも、いろいろな物語が生まれていた。中でも研究者達が目を疑う行為をするサルが現れたのである。1歳半のメスザルが餌付けの芋を川で洗って食べていたのである。そして、群れの中で芋を水洗いして食べるサルが徐々に増えていく。ある日、川の水が涸れたことがあった。しかし、そのメスザルは芋を海水で洗い食べ出した。海水の塩分でより芋が旨く感じたのか、その後海水で芋を洗って食べるサルがまた増えていった。そして、サルの群れの4分の3が芋を水洗いして食べるようになった。それから、しばらくして幸島から300kmも離れた大分県の高崎山のサルたちが。餌付けの芋を水洗いして食べはじめたのである!誰も芋の水洗いを教えたわけでもないのに、そういう行動の現象が同じ種のサルに共鳴するように、日本各地のサルたちに伝わったのである。イモ洗いするサルを見つけたのは、三戸サツヱさんである。昭和28年の夏のことだった。そのサルは〝イモ先生〟と名付けられ、京大研究者の学会発表で世界中に知られた。一匹のサルが水洗いをして食べる新しい行動を取りはじめると、それを真似るサルが出てくる。そして、その行動が群れの一定の比率以上に広まり、ある臨界点に達すると、遠く離れた地の場所のサルたちに伝播していった。〝あることを真実だと思う人の数が一定数に達すると、それは万人にとって真実となる〟ニューサイエンスの第一人者ライアル・ワトソンが〝百匹目の猿現象〟のことをこう言い表した。〝人間はなぜ戦争のように悪に走るのか、人間を知るために、その母体であるサルに行きついた〟元京都大学霊長類研究所の河合雅雄教授のコトバである。日本一、いや世界一あだやかな幸島のサルに会いに行ってみよう、と思ったのである。

2016年1月号

水曜日, 1 月 20th, 2016

○月○日
サンフレッチェ広島がJ1優勝を決めた。2年振り、3度目の栄冠である。それにしてもチャンピオンシップの準決勝と決勝2戦は見る者に感動を与える素晴らしい試合だった。決勝第2戦の広島地区のテレビ視聴率は、優勝瞬間時41.7%だったという。スゴイ数字である。〝広島の皆さん、優勝おめでとうございます!〟。森保監督の絶叫がスタジアムに響いたシーンに、また感動させられたのである。〝おめでとう〟と言いたいのはテレビを見ている私たちから、サンフレッチェを率いた代表の森保監督にである。それを逆に広島県民に先手を打った森保監督の思いには中々のものがあったのである。そもそも、サンフレッチェ広島は地方の一クラブであり、乏しい資金でのやりくりの歴史が続いている。そんな中で、毎年のように主力の退団も続いた。なにか、広島カープを見ているようなのである。クラブチームが安定した成績を残すには、安定した観客収入とスポンサーが不可欠である。一番の問題だったのは広島市郊外にあるスタジアムのことだった。エディオンスタジアムは元々アジア大会のメインスタジアムとして造られたもので、サッカー専用のスタジアムではない。だから、選手のパフォーマンスで観客と一体になる臨場感がどうやっても薄いものだった。また、完成して23年のスタジアムは老朽化も進んでいる。サッカー専用のスタジアムが広島に必要だったのである。私は、広島市の真ん中にあった市民球場が壊されたとき、すぐに思ったことはサッカー専用スタジアムを造ればいいということ。町の中を歩いて行けるスタジアムこそ最高の立地であり、中心商店街への波及効果も大きいことである、そして何より大事なのは、地元意識の求心力の高まりだ。〝広島にはカープがあるからいいじゃないか〟と言う人がいる。広島財政界のお年寄りに特に多いから、問題なのである。サッカーと野球というスポーツのことを考えてみるべきである。日本ではプロ野球や高校野球が人気だということは承知のこと。また、サッカーもJ1、高校サッカーと人気である。観客動員でいうと、野球がサッカーより多い。これは試合数が多いことによるが、選手の年俸を比べると野球が断然高く、日本でのスポーツ界の王者は今のところ野球ということになるだろう。しかし、世界のスポーツ界となれば、ダントツ、サッカーなのである。〝オリンピック〟より〝ワールドカップ〟の方がスポンサーでも観客拿も段違いの人気である。そのサッカー、Jリーグ優勝を4年間で3度果たしたサンフレッチェは、地方都市広島の宝であり誇りである。〝サッカーの力〟を地方都市広島に見せつけるためには、市民球場跡地に専用スタジアムを造ること。これこそ、広島経済にも県民の心にも潤いを与えることになるのである。もし、カープの黒田投手のような、物語のあるスター選手がサンフレッチェにいれば、観客動員も黙っていても増えることだろう。そのチャンスを作る第一歩、新スタジアム建設の決定は今しかないようである。本誌創刊時の30年前、札幌、仙台、広島、福岡の4都市の活性化が地方の自立を占うといわれ、記事にしたことがある。そして現在、4都市のうち一番弱いといわれていた福岡がダントツ活性化して上位、上位だった広島は下位に落ちたまま―。行政、財界、市民の選んだ道が先を読めなかったことには間違いない。何しろことの決定にスピードがない。この様々なことのスピードの遅れが都市間競争に負けるべくして負けてしまっている。多様な町を目ざさせない広島市の脱皮は、スタジアム建設にかかっている。

スタジアムではないが、いま呉市で一番目立つ建物は呉市役所の新庁舎である。新庁舎である。新庁舎建設まで、スッタモンダがあったが、あっという間に立派な建物が出来上がった。まだ外観しか分からないが、本当に立派なデザインの新庁舎だ。呉の中心地では、どこからも新庁舎の姿が見える。呉市のランドマークの建物になっている。「地方消滅」といわれる中で、「地方創生」と行政は意気込む。その空気の中でのハコモノ呉市新庁舎が完成した。同じハコモノの広島のサッカー専用スタジアム建設問題、どう解くのか私たち市民にかかっている。