Archive for 10 月, 2016

2016年11月号

月曜日, 10 月 24th, 2016

「この世界の片隅に」という贈りもの

○月○日
こうの史代さんの「この世界の片隅に」がアニメーション映画になって、やっとこの11月に全国公開を迎える。
監督は片渕須直さんである。原作のマンガ「この世界の片隅に」は今から10年前に、「漫画アクション」に掲載されて、単行本として上・中・下巻が発行されている。
私がこうのさんを知ったのは評判になった前作の「夕凪の街 桜の国」の単行本である。原爆投下の広島を描いたものだ。その広島出身のこうのさんが次回作は呉が舞台の物語を準備している、という記事を読んで、私は東京に住むこうのさんを訪ねたのである。
ほどなくして、「この世界の片隅に」の連載が始まった。物語は昭和18年12月から始まり、雑誌連載もまた平成18年12月より始まる。漫画アクションは隔週誌だったので、ひと月に2話づつ進む仕掛けだ。連載の発売月と作中の月が同じだから戦時中の時間の流れが、読む者にリアルタイムで伝わってくる。特に私のような呉に住むものにとって、町の背景や呉弁の会話に時を超えた〝この世界〟が感動を与えてくれたのである。
〝この世界の片隅に〟という題名のことを連載中、私はいつも考えさせられていた。〝この世界〟とは、どのような世界を指しているのだろう?作者の意図を受けとめたいのである。
物語は、広島の江波から呉の上長ノ木に嫁いでくる主人公すずの日常である。呉での新しい生活、そして故郷広島への愛着が折りなす、すずの〝この世界〟が変っていく。すずの視点が狭くなったり広くなったり、深くなったり、浅くなったり戦時下の厳しい現実がすずの生きる意識を変えていくのである。
〝この世界の片隅に〟生きざるを得ないことをすずは自覚していく。のんびりとした性格のすずが自分の本心に気づいていく物語の展開に、読者も〝この世界〟のとらえ方が一様でないことに気づかされる。
このへんが作者こうのさんのスゴさである。〝この世界の片隅に〟が発表されてすぐ、これこそアニメーション映画にしたいな、と思っていたが、まさに10年たって実現した。
監督の片渕さんは制作において大変な苦労があったと聞いている。原作の脚本も担当したという片渕さんの映画は、監督独自の〝この世界〟になり上がっているはずである。
私たち呉に暮らす者にとって70年前の呉の町の日常風景が垣間見られることに感動したい。
11月公開のこの映画、呉の人々への贈りものとして受け取りたいのである。そして映画を観た人は〝この映画は私たちへの贈りものだよ〟と言って誰かに伝えてあげてください。

©こうの史代/双葉社

2016年10月号

土曜日, 10 月 1st, 2016

呉市営二河プールの競泳プールが、この8月末で廃止された。新しく室内プールが出来るそうである。
二河公園内に市営プールが出来たのは、昭和26年、広島国体の競泳種目の会場になったからである。戦後の呉市は英連邦占領軍の統治下にあった。そんな中、国策で広島、呉での国体の開催になった。その会場のプールは、水泳協会お墨付きの競泳50mプールで、9000人収容の観客スタンド、そして練習プール、飛び込みプールを備えた、当時としては日本有数で、一地方のプールとしては最高の施設だった。
当時の呉市中央地区の小学生や中学生の夏休みの遊び場の一番人気がこの二河プールだった。私は清水通りに住んでいたので、二河プールへは循環線バスを使って通った、蝉が大音響で鳴く二河公園の風景を今でも思い出せるのである。プールの前には、タコ焼やわらび餅の小さな屋台があったり、プールの門をくぐると、左側のフジ棚の処にかき氷やうどんなどが食べられる出店が並んでいた。
プールに浸かり過ぎて唇が白くなるとき、無性に暖かいうどんが食べたくなるのだが、何しろ小遣いが足りない。プールの入場料もバス代も安かった筈だが、夏休み中に出来るだけプールに来ようと思うと、小遣いが足りなかったのだろう。
出店の食堂からの食べ物のいい匂いも、今思い出すとプールの情景の中に入っている。
競泳プールの思い出といえば、とにかく50mが遠かった。クロールでいいかっこして泳ぎ切ろうとするのだが、途中で息が続かなくなって平泳ぎでやっとたどりつくのである。そんなとき、横をバタフライでさっそうと泳ぐ女子がいた。そんなバタフライの出来る女子に憧れたものである。
また、競泳プールのプールサイドで他校女子中学生の姿を見ることが、ませたガキたちのステージでもあった。
そしてもう一つ、苦い思い出がある。中学校の友達が競泳プールで水死したことだ。その頃からか、競泳プールは地下水を使用して水温が低くなり、中学生たちは競泳プールにあまり入らなくなった。そんな中学生は練習プール、通称しょんべんプールではしゃぐのにも思春期が災いしてか、冷や水を浴びせられたように、二河プールから足が遠のいていったことを覚えている。
しかし、二河プールの思い出は泳ぐことだけではなかった。水を抜いた競泳プールにリングを設けてプロレス会場になったのだ。当時大人気だった力道山が来たから大変、急斜面のスタンドやプールサイドの観客席は超満員で、すり鉢状になった会場は野外にかかわらず、大盛り上がりだった。そして、盆踊り大会や花火大会も同じように催され、二河プールは市民が集まる人気の広場でもあった。
今でこそ、ハコモノ行政は色々批判があるが、呉の二河プールに関していえば、まさに偉大なハコモノだった。先人が呉に持ってきたハコモノだ。先人からの〝贈りもの〟は50年以上続いていたのである。いや、プールの消えない思い出は、私たち一人一人に贈りものとして今でも届き続けている。
こんなマチの贈りものを誌面で伝え続けていきたいものである。

2016年9月号

土曜日, 10 月 1st, 2016

○月○日
月刊くれえばんは今号で354号になった。月刊になる前に季刊で10号を出版している。創刊は84年、月刊で再スタートしたのは88年4月号からである。
創刊時、〝呉は文化が育たない町〟とよく先輩諸士から言われたものである。〝よく持って3年じゃ〟と高を括られたりもした。
しかし、出版を続けて10年過ぎた頃から、〝継続は力なり〟の言葉が少しずつ本誌にも効いてきたのを感じた。
それからまた20年、町と共に時を紡ぐ編集を毎月誌面化してきた。バックナンバーの頁をめくる度、その時代のことが一つ一つ蘇ってくる。私にとって、これらのバックナンバーは、まさに宝物だと、思うようになった。編集し、出版したものは過去のもので、殆ど読み返したりしなかった。また、自分が書いた浅くつたない文章に出合うことも嫌だった。出版の恐さはそこにある。出版物は半永久に残るからである。
しかし、編集がうまく出来なかった号も含めて、愛着が湧いてきて、バックナンバー総てが宝物のように思い始めたのは最近である。
くれえばんは次号から現在の版型をB5版からB6版に変えることにしました。頁数は同じで、全頁カラーになります。型が小さくなるが、情報量は殆ど変らないように編集を工夫しています。
コンテンツはより〝食〟に比重をおき、人を介した町の歴史、文化を伝え続けたいと思っています。
30年タウン誌を編集してきて、確信したことがあります。それは〝贈り物〟のことです。
私たちは絶えず見知らぬ先人から贈り物を受け取り、自分の活動を通じて、見知らぬ後世の人々のために贈り物を用意しています。
私たちが享受している平和も、豊かな自然環境も、社会的なセキュリティも、医療や教育や司法のような制度も、先人からの贈り物です。
私たちは、それらの社会的な資源をできるだけいい状態で、できるだけ使い勝手のいいものにして、次世代に引き継ぎたいものです。
私たちは共同体の中でこの〝贈り物〟を認識して、暮らしてさえいれば、どんな時代でも生きのびる確率が高いと確信しています。
この〝贈り物〟論は、文筆家の内田樹さん達の自論です。私も全く同じ考えを持っています。次号からのくれえばんは、より地域の共同体の中で、その様々な〝贈り物〟を誌上にあぶり出して、編集していけたらと思っています。
○月○日
次号の巻頭企画は〝カープ優勝を呉の町で祝杯!!〟である。8月12日現在、カープと巨人の差は5.5ゲーム差。8月の初めは10ゲームの差をつけていたのだが、あっという間の追い上げである。ペナントレースは、カープと巨人に絞られたようだ。
それにしてもカープ人気は異常で、地元マツダスタジアムは連日超満員。また、テレビに映る他球場の観客席も半分以上、赤いユニフォームで埋めている。マスコミもファンも、このまま優勝に向かって突っ走っている!?
本誌も新しい型のくれえばんのスタートにふさわしい企画を考えたのである。広島の町の〝カープ優勝〟への盛り上がりに乗り遅れないように呉もカープ応援を表に出したい。
カープ優勝!となれば、呉の町に出て、〝よっしゃーやったぁー、カープ万歳〟と多くのファンと祝杯を上げたい。乾杯のハシゴをしてみたい。
そこで、呉の町の飲食店で〝カープ優勝、みんなでカンパーイ〟のサービスをやるぞ、という店を本誌で掲載したいのである。
〝どうかいの、カープが25年振りに優勝しそうなで〜〟の期間が長ければ長いほど、ファンは幸福な時間を過ごしていることになるのだが、何はともあれ、カープもファンも乞うご期待である。