Archive for 3 月, 2017

2017年4月号

木曜日, 3 月 23rd, 2017

○月○日
「この世界の片隅に」の、呉の町の桜がどんどん姿を消している。
昭和20年、呉の町は戦時空襲で丸焼けになった。そして、戦後の町の復興は、町全体を「鎮守の森」に、という意を託して桜一本一本を「公」の地に植えていったのである。二河川、堺川、小学校、中学校、高校、そして各地の公園にである。
そして、戦後10年近くになると、やっと市民生活も落ち着き、一年に一度の花見詣でに、市民がこぞって繰り出すようになる。とくに呉の4月3日は〝花の節句〟と称し、会社も休業となり、市をあげてのハレの日だった。昭和30年代、花見に繰り出す市民は10万人を軽く越えていたというからすごい。
当時、桜名所一番の人出は灰が峰の麓、平原浄水場だった。桜の時期にだけ浄水場が開放されて、出店も並び、まるで桜祭り。立錐の余地がないほど浄水場は花見客で埋まった。桜並木の向こうには町の市街地、そして呉港が見渡せる絶好の地である。
その平原浄水場から桜の姿が消えた。残っているのは無残に伐られた桜の根っこだけである。本当に寂しい風景が広がっている。どうしてこんな無残なことになったのだろう。
地元の人たちは、どんどん伐られていく桜を見て、桜を伐らないで下さい、と何度も水道局に陳情に行ったそうである。
それに対して水道局は、地元の人から桜が大きくなり、自宅にかかる枝が邪魔だとクレームがきて、桜を伐採したという。また古木になった桜は台風などで倒木する恐れありとして、古木から順番に伐ることにしている、と答えたそうだ。
倒木の予算がついたので、毎年伐り続けていたら、浄水場の桜は数えるほどになってしまった。何百本あった桜が殆ど姿を消した、という笑い話のようなことが、「この世界の片隅に」に起きてしまった!?
戦前、呉から出ていく戦艦から見える灰が峰の桜、平原浄水場の桜を目に焼きつけて出撃したという兵士の言葉が多く残されている。戦死した兵士だけではなく、呉に住む者にとって平原浄水場の桜には、それぞれ人の歴史の中にハレの風景として刻み込まれている。
その〝公の桜〟をいとも簡単に行政は伐ってしまったものである。行政は、伐った桜は市や県や国の土地にあるのだから、問題はないというのか。
呉の町には、これと同様に〝木々の伐採事件〟が数多いのである。最近では呉市新庁舎建設で中央公園の緑の森をなくした。それ以前も堺川沿いの緑、各小学校の桜などあちこちで見られる。
桜は古木ほど見事な花を咲かすのである。古木には枝ぶりや大きな幹に風格が備わり、厳かな気が感じられる。古木の桜の満開の下、見上げて目に映る桜は別格の美しさである。
呉の町から古木桜が消えていく。
「この世界の片隅に」の〝すずさん〟は、あれから満開の桜を何度愛でたものだろう—。
「この世界の片隅」に咲く桜をいつまでも愛でたい。