Archive for 12 月, 2017

2018年1月号

月曜日, 12 月 25th, 2017

○月○日
毎年、11月になると出回る広甘藍が楽しみである。最近は農協だけではなく、スーパーの地物野菜コーナーでも販売されている。
その広甘藍が主役の料理を連日作り、舌鼓をうっている。ちなみにその料理を記してみる。酢づけ、肉炒め、ギョウザ、パスタ、お好み焼き、みそ汁、鍋である。鍋はクリームシチュー風にしたら、キャベツの甘みがより増してほんとうまいんだなぁ。
○月○日
年末になると、町でなじみの店が閉店するという寂しい情報が編集室に入ってくる。ギョウザの福万、広の東陽軒が閉店した。そして年末で閉店するのが、中華の山口山、スタンド・スーだ。スタンド・スーは年が明けた2月頃に別の場所で小さな居酒屋をすると聞いた。
40年前に、毎日新聞呉支局が出版した「呉うまいもん」という本の中に前述の東陽軒、福万、山口山が掲載されている。
本誌でも、この「呉のうまいもん」にならって「新呉うまいもん」と題して連載を続けたこともある。呉のうまいもんの店の新陳代謝が、町として図れればいいのだが、どうもうまくいっていない。需要と供給のバランスが崩れている。新店をオープンする供給側の戦略をもっと練って勝負して欲しいものだ。
○月○日
「浮世過」、「うきすぎ」という通称がある。
明治初期、阿賀には412軒の町場があり、「百姓」が73軒、漁師が119軒、職人が5軒、「浮過」が212軒という記述が残っている。「百姓商買」とされた人は、おそらく土地を持ち、商いに従事した者。「浮過」は小作となる者もいたが、多くは「小商い、日雇い、船頭、加子などに雇われ」る者だった。
今回の特集「呉の世間の歴史をデザインした人々」の中の「呉のアウトローのデザイン」のところで「阿賀者」のことが出てくる。「仁義なき戦い」の始まりはまさに阿賀者同士の争いだった。「阿賀者」の活躍!?は、全国に鳴り響くのだが、どうしてこれほどまでのアウトローが多く出現したのか、以前から判然としなかったのである。呉に海軍が来る前までは、港町として阿賀の方が規模が大きく、人の出入りも多かったというのだが—。
そこで今回の特集を組むとき、もう一度市史を読み返していると、前述の「浮過」の記述を見つけた。当時の阿賀町の412軒うち半分以上の212軒が「浮過」というのだ。「浮過」という身分は、あいまいなところが多いのだが、無職渡世人というか、遊び人というか、何でも助っと業という日雇いか、その日暮らしの人が多かった。そういう渡世を生きる人の中から「阿賀者」という元気なアウトローが出現したと思ったのだが、どうだろう!?
世間というのは、陰と陽で成り立っている。陽といえるオモテの歴史をなぞるだけでは、本当の歴史に追いつかない。ウラの歴史もオモテに出す「世間の歴史」が必要なのである。
今回の特集の編集は、〝世界〟ではなく〝世間〟がコンセプト。
それにしても、呉の世間という歴史は本当におもしろい。