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2018年8月号

木曜日, 7 月 19th, 2018

○月○日
ケータイから緊急情報のシグナル音が響いた。テレビからも西日本の大雨警報が繰り返し流れた。そして、屋外から呉市の防災放送が聞こえてくるが、これがよく聞きとれない。テレビを消して窓をあけて、耳を澄ますが、雨や川の音で正確なところが伝わらないー。
このたびの〝平成30年7月豪雨〟のときのことだ。その中で、土砂災害を一番被ったのがなんと呉地域だった。テレビに映し出される変わり果てた被災風景を、全国ニュースで知らされた。自分の中で複雑な思いがこみ上げてきて少々ショックだった。
呉周辺地域を含めた主な被災地は、矢野、坂、水尻、小屋浦、天応のJR呉線沿線地域、そしてお隣りの熊野町・東広島市などである。すでに、広島県の死者及び不明者は100人を越えた。
そこで思い出すのが、4年前の広島安佐南八木地区で起きた大規模土砂災害のことだ。今号の〝歴史のじかん〟で紹介した磯田道史さんの〝天災から日本史を読みなおす〟の中で、この土砂崩れを検証している。筆者は、この地の古い記録を探した。
〝八木の扇状地は、背後に急斜地を持つことから、幾度もの土石流が重なって形成されたと考えられる〟という記述だ。また、住宅地にありありと残る土石流あとの竹やぶの写真も町史に掲載されているという。
〝前近代には、土砂崩れは「蛇崩れ」「蛇落」などといい、大蛇の出現になぞられていた。また、地誌「芸藩通史」によれば、八木村に上楽寺(上楽地)という字がある。そういう名前の寺があるからだが、この地にある観音堂が「蛇崩地観音菩薩堂」と呼ばれ、土砂崩れをおこす大蛇の霊を祀って、村の安寧を祈ってきたことが想像される。上楽寺は元来「蛇楽地」から名付けられたと考えねばならない。それが江戸期に上楽寺という楽しそうな名前に変わった。元々「蛇楽地」に建てられた団地だった〟と、磯田さんは推察しているのだ。また、「土砂崩れは、しばしば前兆があり、地鳴りや異臭を察知しなくてはならない」と呼びかけるが、津波より頻繁に襲ってくる山津波(土砂災害)について、もっと取り上げてくればよかった、と磯田さんは記している。
それで、つながるのが今回の熊野町川角団地のことだ。テレビニュースで被災した高校生二人が〝ドンという地鳴りと土のむせかえるような異臭がした〟と土砂崩れの前兆を察知していたことを話していた。川角も八木と同じ「蛇楽地」の可能性が大のようである。
私が土砂災害で思い出すのは、1967年7月9日の集中豪雨のことだ。山崩れ、崖崩れ、河川の決壊、氾濫、崩壊箇所2700、死者88人と市史の年表に記されている。私の住む清水地区の川が決壊して氾濫、四ツ道路まで道路が急流に変わり、何十人かの死者が出た。今でもその光景は目に焼きついている。
日本列島は災害列島だとつくづく思い知らされる。激甚災害が起こるたびに避難や支援のことが問題に上がる。毎年繰り返す災害後の対処がいつも後手後手になるからだ。今更ながら〝防災省〟が必要だと思うのである。復興庁というより、常時災害が起き続ける日本列島だから防災省でないとー。
そして、もう一つ地域に必要なのが、地域のラジオ、コミュニティ放送である。広島発の地域報道に、呉地域はいつも後回しなのである。もっと細かい地域情報が災害時に必要だ。高齢者が多い地域はラジオで情報を流すのが一番。今回の災害でつくづくコミュニティ放送が必要だと思った。