Archive for 9 月, 2018

2018年10月号

火曜日, 9 月 25th, 2018

○月○日
私は、三方の山で囲まれた呉市街地の一方である休山の麓で育った。清水の丘の家から街に出るには、坂道を下りて行き、本通りの交差点に出る。広い本通りを渡ると、そこから賑やかな中通り商店街が広がっていた。昭和30年代の頃だ。
私が食堂と出合った記憶の始まりである。当時の中通り9丁目界隈は、銀座デパートが中心だった。私の父がその銀座デパートの中で店をしていたので、私もその界隈にはよく顔を出していた。銀座デパートの並びには3軒の食堂が連なってあった。「吉野屋」「巴屋」「ロンドン屋」である。「吉野屋」はカウンターだけの小体な店で、昼は食堂、夜は居酒屋という形態の店だった。その隣の「巴屋」は店先におはぎやいなり寿司を並べて販売、店内ではうどんなどが食べられる食堂だった。またその隣には、派手な「ロンドン屋」。ここは一・二階を使った大店で、洋食や和食はもちろんのこと、いち早くソフトクリーム機を店頭に置いて人気があった。街の大衆レストランの代表のような存在だった。この3軒で私が最初に食べたのはうどん、素うどんだった。他のメニューも食べたのだろうが、思い出すのはうどん。子どもの私が小遣いを貰って食べるのだから、いつも決まって一番安いうどんである。私の食堂事始めである。
食堂との本格的な付き合いは、東京の大学に進学してからだ。東京暮らしは10年以上続いたが、その間私は10回位、住居を変えた。だから、その都度住む街の中に、行きつけの食堂があった。いまその頃のことを思い出しながら、この文章を書いているが、これがただ懐かしいだけでなく、なんというかじんとくるものがある。とにかくお金に余裕がないのだから、毎日外食出来るはずがない。そのやりくりを思い出そうとしても、見事に忘れている。はっきりと覚えているのは、うまかった食堂や行きつけの居酒屋やスナックのことである。じんとくるのは、私の青春時代で忘れ去りたいときどきのことで、食堂のことと共に蘇ってくるのである。
私が食堂で一番通ったのは中華食堂だ。駅の近くには必ずあった中華食堂、今のようなラーメン店ではない。炒飯、ギョーザ、中華飯、天津飯、ラーメンが定番メニューで、懐に余裕があるときはビールを頼んだ。これが旨かった。そんな中華食堂での食事はいつもひとりだ。中華食堂は私にとって〝青春食堂〟だったのかな。
中華料理でいうと、今でも東京に行けば必ず顔をだすのが、渋谷の〝麗郷〟だ。道玄坂を少し上った路地にある老舗で、私が通い出して40年以上になる。こちらは駅前中華食堂より本格中華で、腸詰、タン、シジミ炒め、大根モチ、チマキ、五目焼そば、ビーフンと次々と定番メニューが出てくるから、私にとって今でも一番の〝東京食堂〟なのだろう。この店にはひとりでも二人でも通った。二人で料理をシェアして食べる方が色んなメニューが食べられるからだ。〝麗郷〟はハレの〝青春食堂〟でもあったのだ。
今回の食堂特集では30軒近くの店を取材した。昭和の時代から続くスタイルや味を守る店が思った以上にあり、呉は大衆食堂と呼べる店がまだまだ健在だとひと安心したのである。
いま〝食堂〟と名のつく店が東京などで増え続けている。〝カフェ〟と名をつけるより〝食堂〟という方が〝新しい〟イメージを与えるというのである。都会の飲食業界の多様化はどんどん進んで魅力たっぷりである。
地方の街である呉も〝食堂〟の概念を変える店が必ず現れてくるだろう。私としては、昭和のいいところを前面に出した、〝大衆食堂〟の再来を期待している。
〝 食堂は街と共にあり 〟です。