2015年10月号

◯月◯日

大和ミュージアム開館10周年シンポジウム「終戦70年を語り継ぐ」に行ってきた。パネリストに半藤一利さん、進行役に池上彰さんという、今をときめく論客が呉に集まったからである。
大和ミュージアムは、開館して10年目で入場者数が1千万人を越えた。その成功要因は何だったんだろう!?
10分の1戦艦「大和」が圧倒的な存在としてミュージアムの中心に据えられ、周りを呉の海事歴史やもの創りの展示をしていること。そして日本の近代史を呉を通して表現していることが分かりやすいといわれる。
しかし、ミュージアムの確たるバックボーンを強く表に出さないところがあった。そのところが、今回のシンポジウムでハッキリと聞こえて来たのである。
そのすべては、館長の戸髙さんのミュージアムデザインにあったのである。戸髙さんは、長い時間をかけて証言録「海軍反省会」を何巻も編集し、出版を続けている。現在も戦争をしたリーダー達の建前と本音の言葉を紡いでいる。
また、半藤さんはいま話題の映画「日本のいちばん長い日」の原作者で、昭和史研究の第一人者である。このお二人に通底するのは〝戦争の歴史の中の日本人論〟を伝えたいということだ。戦争を進めたリーダー達の資質を示すことで、日本は戦争をすると必ず間違いをおかすと言われるのである。
戸髙さんはシンポジウムの中で、〝大和が最後の特攻に出撃した理由とは、海軍のリーダー達は特攻に意味がないのは明らかだったが、海軍として最後の力を振り絞ったというカタチというか面子が必要だったから〟と言われた。
長い時間と巨額の予算、そして日本の最高の技術で造り上げた大鑑「大和」は沖縄への特攻のために出撃して、予想通り3千名の生命とともに爆沈した。
〝戦争はかくもはかなくむなしい歴史〟だということが大和ミュージアムのバックボーンなのである。
そして戦後70年のいま、当時を知る人が減り、戦争が体験として語られる時代から歴史として語られる時代になった。ミュージアムの役割は、今からより重要になると戸髙さんは言われる。
今まで、広島の原爆資料館は〝サヨク〟、呉の大和ミュージアムは〝ウヨク〟とマスコミは決めつけてきたようだが、大和ミュージアムの入場者数の成功が、政治的な〝右・左〟を取り払い、ありのままの歴史、真ん中のミュージアムとして、すでに受け入れられているのだ。
ヒロシマと呉のミュージアムは、同じ戦争がテーマのミュージアムなのに、ヒロシマは今だ呉に背を向けたままである。今回のシンポジウム「終戦70年を語り継ぐ」をヒロシマに聞かせたかった——。
○月○日
呉市の新庁舎建設工事は着々と進み、立派な外観が見えてきている。中央公園側から見ると、現庁舎と新庁舎の差が歴然としていることが分かる。何しろ立派なのである。建築予算はどんどん増額してついに160億円を超えた。
2年前に新庁舎建設工事入札が2度不成立になり、建設をどうして急ぐんだ!?という市民の多くの意見があった。しかし、市議会と行政は、決めたことだから粛々と進めるだけ、と意に介しない。
総事業費160億円は中国地方で建て替えを計画する自治体で最高額といわれ、どうなっとるんかいのー、と思っていたら、東京オリンピックの新国立競技場は2千億円から3千億円位の事業費がかかると分かり問題になった。それで、スッタモンダがあって、1500億円に落ち着いた。それらの数字を見ていると、100億円、200億円の上下は大したことがないように映ってしまう。振り返って、呉の新庁舎の金額が巨額だと思わなくなるから、不思議である。
日本という国は借金で首が回らない筈なのに、いまだにハコモノをどんどん日本中で造り続けようている。
地方に住む私たちは、日本とは東京のことだ、といつもマスコミから上意下達され続けていることを自覚するべきである。
東京がおかしくなると、一番にそのとばっちりを受けるのは地方なのである。
呉市の新庁舎と現庁舎が並んでいる風景は今だけである。是非御観覧あれ——。

コメントをどうぞ