2016年10月号

呉市営二河プールの競泳プールが、この8月末で廃止された。新しく室内プールが出来るそうである。
二河公園内に市営プールが出来たのは、昭和26年、広島国体の競泳種目の会場になったからである。戦後の呉市は英連邦占領軍の統治下にあった。そんな中、国策で広島、呉での国体の開催になった。その会場のプールは、水泳協会お墨付きの競泳50mプールで、9000人収容の観客スタンド、そして練習プール、飛び込みプールを備えた、当時としては日本有数で、一地方のプールとしては最高の施設だった。
当時の呉市中央地区の小学生や中学生の夏休みの遊び場の一番人気がこの二河プールだった。私は清水通りに住んでいたので、二河プールへは循環線バスを使って通った、蝉が大音響で鳴く二河公園の風景を今でも思い出せるのである。プールの前には、タコ焼やわらび餅の小さな屋台があったり、プールの門をくぐると、左側のフジ棚の処にかき氷やうどんなどが食べられる出店が並んでいた。
プールに浸かり過ぎて唇が白くなるとき、無性に暖かいうどんが食べたくなるのだが、何しろ小遣いが足りない。プールの入場料もバス代も安かった筈だが、夏休み中に出来るだけプールに来ようと思うと、小遣いが足りなかったのだろう。
出店の食堂からの食べ物のいい匂いも、今思い出すとプールの情景の中に入っている。
競泳プールの思い出といえば、とにかく50mが遠かった。クロールでいいかっこして泳ぎ切ろうとするのだが、途中で息が続かなくなって平泳ぎでやっとたどりつくのである。そんなとき、横をバタフライでさっそうと泳ぐ女子がいた。そんなバタフライの出来る女子に憧れたものである。
また、競泳プールのプールサイドで他校女子中学生の姿を見ることが、ませたガキたちのステージでもあった。
そしてもう一つ、苦い思い出がある。中学校の友達が競泳プールで水死したことだ。その頃からか、競泳プールは地下水を使用して水温が低くなり、中学生たちは競泳プールにあまり入らなくなった。そんな中学生は練習プール、通称しょんべんプールではしゃぐのにも思春期が災いしてか、冷や水を浴びせられたように、二河プールから足が遠のいていったことを覚えている。
しかし、二河プールの思い出は泳ぐことだけではなかった。水を抜いた競泳プールにリングを設けてプロレス会場になったのだ。当時大人気だった力道山が来たから大変、急斜面のスタンドやプールサイドの観客席は超満員で、すり鉢状になった会場は野外にかかわらず、大盛り上がりだった。そして、盆踊り大会や花火大会も同じように催され、二河プールは市民が集まる人気の広場でもあった。
今でこそ、ハコモノ行政は色々批判があるが、呉の二河プールに関していえば、まさに偉大なハコモノだった。先人が呉に持ってきたハコモノだ。先人からの〝贈りもの〟は50年以上続いていたのである。いや、プールの消えない思い出は、私たち一人一人に贈りものとして今でも届き続けている。
こんなマチの贈りものを誌面で伝え続けていきたいものである。

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