2017年9月号

○月○日
毎年8月9日になると思い出すことがある。永六輔さんが呉の寺で話をしたときのことだ。それは、永さんが60代の頃のことで、2年か3年ごとに呉で話をする会を続けたことがある。一日に3ヶ所2時間ぐらいのトークショーをするのである。
その中で、特に印象に残っているのが、広長浜の専徳寺での会だ。猛暑の日だったが、高台の専徳寺本堂は風通しがよく、まさに気のいい高座だ。永さん独特の小気味のいい話の展開に、笑いながら引き込まれる集まった人たち。私もいつもながらの永さんの話術に感服しながら一観客になり切っていたとき、寺の外から市の広報のアナウンスが大きく聞こえてきたのである。長崎に原爆が投下された時間の広報だった。永さんは、それを聞いて〝皆さん一分間の黙祷をしましょう〟と話を中断したのだ。永さんは、広島原爆の日の黙祷は広島に近い呉では当りまえのように行われていることだが、長崎原爆の日の黙祷時間をも知らせる呉市の広報を誉められた。気をよくした永さん、話がどんどん盛り上がったのである。
このときの話は、岩波新書の〝親と子〟(永六輔著)にすべて掲載されている。今回読み返してみたのだが、永さんがとくに力を入れている戦争の話を若い世代に伝えること、これが本当にいい話なのだ。新書の言葉を追ううちに永さんの口調が蘇ってくるのである。
この夏、マスコミの〝8・6特集〟は何か低調だった。〝8月ジャーナリズム〟がマンネリ化した平和報道に陥り、年々弱くなってきているといわれている。
そんな中、旧呉鎮守府の地下壕が戦後初めて一般公開された。灼熱の陽ざしが照りつける中、海上自衛隊呉基地の海側、正面階段の横の地下壕入口にたくさんの人の列が出来た。
私は戦後残された地下壕のことは人より知っているつもりだ。小学生のとき、旧海軍病院の地下壕に入って、よく遊んでいた。当時の地下壕は、割れた薬瓶や注射器が散乱していて、この地下壕に入院患者を避難させていたことがうかがえたのだ。
私の地下壕体験のもう一つは、東京市ヶ谷の自衛隊本部に残っていた地下壕だ。地下壕の作戦本部、そして皇居までつながる地下通路。すごい歴史遺産を見せて頂いたことがある。取り壊す予定と聞いたが、今はどうなっているのだろう。
歴史の中で、忘れさられたまま日の目を見ない事実も多いが、今回の海上自衛隊呉基地の地下壕公開は〝8月ジャーナリズム〟では大きなニュースである。自衛隊広報も変わってきているのである。
ここでもう一度、永さんの言葉を伝えたい。

〝体験を語り継ぐということは、これはほんとにむずかしいことです。
でも、やりましょう。
それぞれお家のなかで語り継ぐ、先生が子どもに語り継ぐ。
そういうふうにみんなが、親から子に、教師から子どもへ、ご住職から在家へというふうに語り継いでいく。
それをやりましょう、ということですよ。
だれもぼくみたいにおしゃべりじゃない(笑)。無口の方もいらっしゃいます。
でも、無口でいるとこの世の中よくなりません。
やっぱり、体験したことは語り継がれなければならない。
われわれは、記憶というものを上手に語り伝える技術も持たなければいけないんです。
みなさん、これは今日の宿題ですよ(笑)。
ハイ、宿題を出したところで、お話を終わります。〟

ところで、私から皆さんに伝えることがあります。8月4日、午前4時30分、呉駅前の呉阪急ホテル東側で東和交通タクシーとイノシシが衝突。タクシーはバンパー破損、イノシシは血を流しながら逃走しました。イノシシは遂に駅前まで進出してきた!
これは語り継ぐ話ではないのですがー。

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